【お知らせ】「下北沢で見たカラフルな白いテレビ 青木亮人・鴇田智哉・田島健一・宮本佳世乃【『凧と円柱』刊行記念「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ」2014年12月13日・下北沢B&B】極私的レポート」『週刊俳句 第400号』
- 2014/12/21
- 21:43
『週刊俳句 Haiku Weekly第400号』にて、西原天気さんの写真とご一緒させていただくかたちで、先日下北沢で行われた「青木亮人×鴇田智哉×
田島健一×宮本佳世乃 「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ」『凧と円柱』刊行記念」のレポートを、『週刊俳句』編集部からお声がけいただき、載せていただきました。
『週刊俳句』編集部と西原天気さんにお礼申し上げます。
ありがとうございました!
柳本々々「下北沢で見たカラフルな白いテレビ 【2014年12月13日・下北沢B&B】極私的レポート 」
〈見る〉という行為や出来事性が、〈9・11〉や〈3・11〉をとおして明らかに変質している。そしてそれはまだ現在もだれにもわからないかたちで、とらえがたいかたちで、変質しつづけている。
新宿紀伊國屋本店のSSTのイヴェントと、下北沢のどちらも鴇田さんをめぐるふたつのイヴェントに参加して、そのことをずっとかんがえていました。
〈見る〉ことの〈正しさ〉がわからなくなってしまっている状況で、それでも〈見る〉ことをめぐる定型詩が〈どこ〉から〈なに〉を〈見〉てそれを〈どう〉ことばにすることができるのか、そんなことをかんがえつづけながら、じぶんなりにふたつのイヴェントを連・節し、拝聴していました。
そしてそれは実は、映画がずっと取り組んできた問題だったのではないかとも、ふとおもったりもしました。
ヴェンダースの『東京画』のなかで、とつぜんあらわれたヘルツォークがたしか東京タワーのうえでこんなふうに、いっていたはずです。
「もう見るべきものなんて、なにもないんだ」と。
でも、その荒涼とした〈見る〉ことの零度からそれでも〈見る〉ことを組織しつづけること、そして《あえて》失敗しつづけること。しかしその失敗になにがしかの〈見る〉ことの痕跡をのこすこと。
そこに、〈見る〉ことが、すこしずつ胚胎していくのではないかとも、やはり、ふたつのイヴェントでおもったりもしたのです。
しくじりのなかから、もっとうまいしくじりがでるかもしれないから、と。だから、
いざ最悪のほうへ。
昔からのすべて。他には何も。ずっとためされ。ずっと失敗され。構わない。またためす。また失敗する。もっと良く失敗する。 ベケット『いざ最悪の方へ』
田島健一×宮本佳世乃 「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ」『凧と円柱』刊行記念」のレポートを、『週刊俳句』編集部からお声がけいただき、載せていただきました。
『週刊俳句』編集部と西原天気さんにお礼申し上げます。
ありがとうございました!
柳本々々「下北沢で見たカラフルな白いテレビ 【2014年12月13日・下北沢B&B】極私的レポート 」
〈見る〉という行為や出来事性が、〈9・11〉や〈3・11〉をとおして明らかに変質している。そしてそれはまだ現在もだれにもわからないかたちで、とらえがたいかたちで、変質しつづけている。
新宿紀伊國屋本店のSSTのイヴェントと、下北沢のどちらも鴇田さんをめぐるふたつのイヴェントに参加して、そのことをずっとかんがえていました。
〈見る〉ことの〈正しさ〉がわからなくなってしまっている状況で、それでも〈見る〉ことをめぐる定型詩が〈どこ〉から〈なに〉を〈見〉てそれを〈どう〉ことばにすることができるのか、そんなことをかんがえつづけながら、じぶんなりにふたつのイヴェントを連・節し、拝聴していました。
そしてそれは実は、映画がずっと取り組んできた問題だったのではないかとも、ふとおもったりもしました。
ヴェンダースの『東京画』のなかで、とつぜんあらわれたヘルツォークがたしか東京タワーのうえでこんなふうに、いっていたはずです。
「もう見るべきものなんて、なにもないんだ」と。
でも、その荒涼とした〈見る〉ことの零度からそれでも〈見る〉ことを組織しつづけること、そして《あえて》失敗しつづけること。しかしその失敗になにがしかの〈見る〉ことの痕跡をのこすこと。
そこに、〈見る〉ことが、すこしずつ胚胎していくのではないかとも、やはり、ふたつのイヴェントでおもったりもしたのです。
しくじりのなかから、もっとうまいしくじりがでるかもしれないから、と。だから、
いざ最悪のほうへ。
昔からのすべて。他には何も。ずっとためされ。ずっと失敗され。構わない。またためす。また失敗する。もっと良く失敗する。 ベケット『いざ最悪の方へ』
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