【感想】広瀬ちえみの時間、川名つぎおの時間(宇宙精神研究所から生放送)
- 2014/12/25
- 06:54
【宇宙精神研究所食べ放題(銀河蟹付き)の二時間】
先日、『川柳カード』の合評会に出席させていただいていたときに、川柳っていうのは〈時間性〉、あるいはそれまでなかった〈時間の創生〉がとても大事なんじゃないかなということを、ふっとかんがえたりしていた。
たとえば『川柳カード7号』の広瀬ちえみさんの「まだ途中」という連作タイトル自体が〈時間性〉を組織しようとしている連作から抜き出してみると、
鳩時計鳴ってバナナはまだ途中 広瀬ちえみ
わかりませんしゃもじを持って逃げたこと 〃
かんたんに壊れてくる鳩サブレ 〃
引き出しの後ろに落ちている「気持ち」 〃
これらの句っていうのはぜんぶなにかの「まだ途中」(のはず)です。
「わかりません」と語り手がいうのは、「まだ途中」の理解の過程の時間にいるからだし、「壊れてくる」から「壊れた」までの移行の時間があるし、「気持ち」が引き出しの後ろに落ちている句からは、それがかつて引き出しにあった時間、落ちた時間、それを見つけた時間、いつか引き出しのなかにくるかもしれないけれどこないかもしれない時間などさまざまな〈時間性〉、それまでおそらくだれもが経験しなかったような「まだ途中」としての時間性が組織されています。
俳句では、どうか。
たとえば、川名つぎおさんの俳句をみてみましょう。
どうしても過去にならないバケツかな 川名つぎお
二つ目のメロンからが装置です 〃
花の昼人類どこへ行ったか展 〃
まさる君は炎天でしか映らない 〃
たとえば、展示会などはそもそもが区切られた〈時間性〉の創出をすることで〈みる〉ことの価値がでてくる。
〈みる〉ことが限られることによって、まさる君もそうですが、限られるところから〈時間性〉がでてくる。いやそもそもがわたしたちはいつか死ななければならないので、生きているあいだだけの展示会にいるようなものです。〈時間性〉は、〈時間制〉です。
どうして575で〈時間性〉が特権的になってくるのか。
あえてめちゃくちゃなことをいってみると、定型とはひとつの〈食べ放題〉なのではないかとおもうのです。混乱しているかもしれませんが、でも、そうだともおもうのです。
〈食べ放題〉というのは、食べることに意味があるのではなくて、制限された時間のなかでなにをどう食べたかにたぶん意味がある。おいしくても、まずてくても、それはそれでいいのです。
これだけ食べられた、とか、これだけしか食べられなかった、という意味がでてくる。
そもそもが、定型は制限された時間内でしか、語り手と読み手の場を提示できない。
だからこそ、その限られた時間のなかで〈これ〉を〈このように〉食べたということが意味(のようなもの)になってくる。
〈食べ放題〉でであう時間は、なにをどう食べてもいつもはじめて出会う時間です。
というよりも、おそらく、いつもわたしたちは食べ放題において、時間を食べている。
この時間でこれを食べて、次の時間であれを食べたんだという時間を。
だから定型としての時間制も、時間性をつくっていく。
限られた時間のなかで、限られなかった時間を食べることで、はじめて時間にであう。
もっといえば、もっと混乱すれば、〈時間〉があるからこそ、わたしははじめての茶碗蒸しと、はじめてのハチミツにであうことが、できた。
宇宙精神研究所の茶碗蒸し 川名つぎお
蜂蜜をスプーンに掬うときの顔 広瀬ちえみ『杜人244』2014冬
先日、『川柳カード』の合評会に出席させていただいていたときに、川柳っていうのは〈時間性〉、あるいはそれまでなかった〈時間の創生〉がとても大事なんじゃないかなということを、ふっとかんがえたりしていた。
たとえば『川柳カード7号』の広瀬ちえみさんの「まだ途中」という連作タイトル自体が〈時間性〉を組織しようとしている連作から抜き出してみると、
鳩時計鳴ってバナナはまだ途中 広瀬ちえみ
わかりませんしゃもじを持って逃げたこと 〃
かんたんに壊れてくる鳩サブレ 〃
引き出しの後ろに落ちている「気持ち」 〃
これらの句っていうのはぜんぶなにかの「まだ途中」(のはず)です。
「わかりません」と語り手がいうのは、「まだ途中」の理解の過程の時間にいるからだし、「壊れてくる」から「壊れた」までの移行の時間があるし、「気持ち」が引き出しの後ろに落ちている句からは、それがかつて引き出しにあった時間、落ちた時間、それを見つけた時間、いつか引き出しのなかにくるかもしれないけれどこないかもしれない時間などさまざまな〈時間性〉、それまでおそらくだれもが経験しなかったような「まだ途中」としての時間性が組織されています。
俳句では、どうか。
たとえば、川名つぎおさんの俳句をみてみましょう。
どうしても過去にならないバケツかな 川名つぎお
二つ目のメロンからが装置です 〃
花の昼人類どこへ行ったか展 〃
まさる君は炎天でしか映らない 〃
たとえば、展示会などはそもそもが区切られた〈時間性〉の創出をすることで〈みる〉ことの価値がでてくる。
〈みる〉ことが限られることによって、まさる君もそうですが、限られるところから〈時間性〉がでてくる。いやそもそもがわたしたちはいつか死ななければならないので、生きているあいだだけの展示会にいるようなものです。〈時間性〉は、〈時間制〉です。
どうして575で〈時間性〉が特権的になってくるのか。
あえてめちゃくちゃなことをいってみると、定型とはひとつの〈食べ放題〉なのではないかとおもうのです。混乱しているかもしれませんが、でも、そうだともおもうのです。
〈食べ放題〉というのは、食べることに意味があるのではなくて、制限された時間のなかでなにをどう食べたかにたぶん意味がある。おいしくても、まずてくても、それはそれでいいのです。
これだけ食べられた、とか、これだけしか食べられなかった、という意味がでてくる。
そもそもが、定型は制限された時間内でしか、語り手と読み手の場を提示できない。
だからこそ、その限られた時間のなかで〈これ〉を〈このように〉食べたということが意味(のようなもの)になってくる。
〈食べ放題〉でであう時間は、なにをどう食べてもいつもはじめて出会う時間です。
というよりも、おそらく、いつもわたしたちは食べ放題において、時間を食べている。
この時間でこれを食べて、次の時間であれを食べたんだという時間を。
だから定型としての時間制も、時間性をつくっていく。
限られた時間のなかで、限られなかった時間を食べることで、はじめて時間にであう。
もっといえば、もっと混乱すれば、〈時間〉があるからこそ、わたしははじめての茶碗蒸しと、はじめてのハチミツにであうことが、できた。
宇宙精神研究所の茶碗蒸し 川名つぎお
蜂蜜をスプーンに掬うときの顔 広瀬ちえみ『杜人244』2014冬
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