【感想】わたくしの通ったあとのすごい闇 定金冬二
- 2014/12/28
- 06:59
わたくしの通ったあとのすごい闇 定金冬二
【わたしにもあなたにもおうさまにもゆうれいにも、りんかくがある】
よく川柳で主題化されるものに〈身体〉があるとおもうんですが、〈身体〉っていうのは固有の〈ここ〉を具体的にひきうけることができる一方で、でもわたしの身体とあなたの身体はちがうから、というどこかに身体の隔絶があるようにもおもうんですよね。
身体の孤独、というか。
でも、身体はわたしとあなたではちがうけれども、身体の姿勢、身体のりんかくならば、共約できるかもしれない。
そういうポージングとしての身体、姿勢・輪郭としての身体の主題もあるのではないか。
うえの定金さんの句も、「わたくし」のりんかくの問題なのではないかとおもうんです。それは身体ではない。
だからこの「わたくし」には、あなたもわたしもいる。
でもだからこそ、定式化できない「すごい闇」がある。
そこにはおそらくn人のおびただしいりんかくがあるからです。
わからない。こわい。だから、すごい。
定金さんにはこんな句もあります。
一老人 交尾の姿勢ならできる 定金冬二
これも、りんかくからセックスをとらえたおもしろい句です。
セックスといえば具体的あるいは観念的にとらえがちだけれども、具体的かつ観念的というその〈かつ〉としてのりんかくからとらえることもできるんだという〈発見〉がここにはある。
だからこその「一老人」です。ここにはやはりあなたもわたしもいるのです。
セックスをしているかしていないかできるかできないか愛するひとがいるかいないかひとりかふたりかさんにんか、は、かんけいない。
りんかくとしての、姿勢としてのセックスです。
こうした姿勢の句を、すこし『川柳カード7号』からもあげてみます。
屍のポーズに金魚売りの声 悠とし子
はじめまして少しきつめのパーカーで 酒井かがり
敷物になって密談聞いている 久保田紺
ちょっと大胆かもしれないけれど、「少しきつめのパーカーで」や「敷物になって」をわたしは〈姿勢〉〈りんかく〉の主題としてとらえてみました。
でも、たぶん、この句をじゃあ身体的にあらわしてみてください、といわれたら、わたしたちは、きつめのパーカーをきているように肩をすくめたり、敷物になっているようにはらばいになったりして、りんかくであらわすとおもうのです。
このりんかくで大事なことは、身体と観念の縫い目のようなところにりんかくがあるということです。
それは、身体の区別やちがいではない。かといって観念のロマン的孤独でもない。
りんかくとは、ゆるやかな共約性です。
最後にまたふたたび定金さんの句を。
音をたてるりんかく、です。
音立てて転べ誰かが見てくれる 定金冬二
【わたしにもあなたにもおうさまにもゆうれいにも、りんかくがある】
よく川柳で主題化されるものに〈身体〉があるとおもうんですが、〈身体〉っていうのは固有の〈ここ〉を具体的にひきうけることができる一方で、でもわたしの身体とあなたの身体はちがうから、というどこかに身体の隔絶があるようにもおもうんですよね。
身体の孤独、というか。
でも、身体はわたしとあなたではちがうけれども、身体の姿勢、身体のりんかくならば、共約できるかもしれない。
そういうポージングとしての身体、姿勢・輪郭としての身体の主題もあるのではないか。
うえの定金さんの句も、「わたくし」のりんかくの問題なのではないかとおもうんです。それは身体ではない。
だからこの「わたくし」には、あなたもわたしもいる。
でもだからこそ、定式化できない「すごい闇」がある。
そこにはおそらくn人のおびただしいりんかくがあるからです。
わからない。こわい。だから、すごい。
定金さんにはこんな句もあります。
一老人 交尾の姿勢ならできる 定金冬二
これも、りんかくからセックスをとらえたおもしろい句です。
セックスといえば具体的あるいは観念的にとらえがちだけれども、具体的かつ観念的というその〈かつ〉としてのりんかくからとらえることもできるんだという〈発見〉がここにはある。
だからこその「一老人」です。ここにはやはりあなたもわたしもいるのです。
セックスをしているかしていないかできるかできないか愛するひとがいるかいないかひとりかふたりかさんにんか、は、かんけいない。
りんかくとしての、姿勢としてのセックスです。
こうした姿勢の句を、すこし『川柳カード7号』からもあげてみます。
屍のポーズに金魚売りの声 悠とし子
はじめまして少しきつめのパーカーで 酒井かがり
敷物になって密談聞いている 久保田紺
ちょっと大胆かもしれないけれど、「少しきつめのパーカーで」や「敷物になって」をわたしは〈姿勢〉〈りんかく〉の主題としてとらえてみました。
でも、たぶん、この句をじゃあ身体的にあらわしてみてください、といわれたら、わたしたちは、きつめのパーカーをきているように肩をすくめたり、敷物になっているようにはらばいになったりして、りんかくであらわすとおもうのです。
このりんかくで大事なことは、身体と観念の縫い目のようなところにりんかくがあるということです。
それは、身体の区別やちがいではない。かといって観念のロマン的孤独でもない。
りんかくとは、ゆるやかな共約性です。
最後にまたふたたび定金さんの句を。
音をたてるりんかく、です。
音立てて転べ誰かが見てくれる 定金冬二
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