あとがきがきがき
- 2014/12/29
- 06:00
やぎもともともと、です、とじぶんであまり声にだして発したことがないので、自己紹介するときに、やぎもともともとです、とじぶんでいったしゅんかんに、じぶんでも吹き出しそうになってしまうことも、ある。なれていないのだ。
たとえば、たまに郵便の荷物受け取りなどでも、やぎもともともとです、というのが、はずかしく、やぎもとごにょごにょです、といったり、やぎもとのの、です、といったり、やぎもとおなじです、とごまかしたりすることも、ある。やぎもとなな、です、といってしまうことも、ある。これは、中山奈々さんの俳句をかんがえているときなどに。
やぎもとやぎもと、です、というときも、ある。
じぶんで名乗りながらわらってはいけないとおもい、練習をしようと、しんや、壁にむかって、やぎもともともとです、と繰り返し唱えているときも、ある。ハードに、シリアスに、ダイナミックに、となえる。
なぜ、ひとはそんなにも、もともともともと、いわなければならないのか。
人生で、そんなにも、《もと》と発音するしゅんかんが、あるのかどうか、わたしには、わからない。
じんせいで、こんなにも、《々》と記入する日がくることも、おさないころのわたしには、わからなかった。
《やぎ》と発音するたびに、3の倍数をともなって《もと》の所持が幾何級数的にふえていく。わたしは、《もと》にかんする経験だけが、豊富になっていく。潤沢としての《もと》。
わたしは、たくさんの《もと》をポケットにいれて、ポケットからときどきこぼしながら、わらわないよう、《もと》から《もと》へ、さらに《もと》へとあゆみ、つないでいかなければ、ならない。
こないだ、いちばん最後の《もと》もやっぱりあるわけでしょう? 人生でさいごになるような《もと》が、ときかれ、わたしは、それはファイナルもと、ということになりますね、と答えた。
それから、ふたりして、だまった。
たとえば、たまに郵便の荷物受け取りなどでも、やぎもともともとです、というのが、はずかしく、やぎもとごにょごにょです、といったり、やぎもとのの、です、といったり、やぎもとおなじです、とごまかしたりすることも、ある。やぎもとなな、です、といってしまうことも、ある。これは、中山奈々さんの俳句をかんがえているときなどに。
やぎもとやぎもと、です、というときも、ある。
じぶんで名乗りながらわらってはいけないとおもい、練習をしようと、しんや、壁にむかって、やぎもともともとです、と繰り返し唱えているときも、ある。ハードに、シリアスに、ダイナミックに、となえる。
なぜ、ひとはそんなにも、もともともともと、いわなければならないのか。
人生で、そんなにも、《もと》と発音するしゅんかんが、あるのかどうか、わたしには、わからない。
じんせいで、こんなにも、《々》と記入する日がくることも、おさないころのわたしには、わからなかった。
《やぎ》と発音するたびに、3の倍数をともなって《もと》の所持が幾何級数的にふえていく。わたしは、《もと》にかんする経験だけが、豊富になっていく。潤沢としての《もと》。
わたしは、たくさんの《もと》をポケットにいれて、ポケットからときどきこぼしながら、わらわないよう、《もと》から《もと》へ、さらに《もと》へとあゆみ、つないでいかなければ、ならない。
こないだ、いちばん最後の《もと》もやっぱりあるわけでしょう? 人生でさいごになるような《もと》が、ときかれ、わたしは、それはファイナルもと、ということになりますね、と答えた。
それから、ふたりして、だまった。
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