【感想】寄り道が好きで人間大好きで 三浦蒼鬼
- 2015/01/03
- 20:05
寄り道が好きで人間大好きで 三浦蒼鬼
【川柳で使えるコマンド「大好き」】
ある方から、きのうはNHKのラジオのぷちぷちケータイ俳句で、題が「告白」だったんですよ、とお聞きして、俳句と告白の組み合わせっておもしろいなあとおもったんですよ。
俳句ってじぶんにとっては非告白的な場所にあるものだとおもっていたんです。
できるだけ告白しないようにハードボイルドすると俳句ができあがる。そういう場所に俳句があるのかなあと。
だから、神野紗希さんの有名なコンビニのおでんの句があったりはするけれど、ひとつの俳句と川柳のちがいとして川柳においては〈好き〉や〈大好き〉を正面から主題化できるのかなあとおもうんですよ。
それは、なんでだろう、ってかんがえたときに、ひとつは発話主体のちがいにあるのではないだろうか、というふうにもおもうんです。
あえてかたよった、かなり乱暴で図式的ないいかたをしてみると、俳句のことばというのは、私(わたくし)をどんどん無化していって、わたくしが稀薄化したところにそれでも残ってしまったようなことばでも成立する。
だから俳句では、つまらないことをつまらないままに詠んでもいい、という言説もあったりする。
〈好き〉とか〈大好き〉というのはその点、〈好き〉=〈わたし〉と等価になってしまうから使えない。使いにくい。だから、神野さんの「コンビニのおでんが好きで星きれい」の「好き」は、〈わたし〉の「好き」ではなくて、非人称・無人称化された〈好き〉のようにもおもう。それは「コンビニ」や「星」というあまりにプレーンで平素なことばが〈好き〉を無人称化しているとおもうのです。(たぶん)だれもが(たいていは)コンビニのおでんが好きで、星がきれいだとおもうので。というか、好きじゃなくても、きれいだとおもわなくてもいい。これは普遍的なことばとしてのコンビニや星といったことばのアクセスのたやすさが〈わたし〉を無化しているのではないかとおもう。
そうした〈わたし〉を稀薄化していく俳句のことばがある一方で、川柳のことばにおいては逆に〈わたし〉の濃度を増幅させても、いい。
蒼鬼さんの句でダイナミズムをなしているのは、「寄り道」や「人間」ということばよりもむしろ「好きで」から「大好きで」への感情の倍速度にあるようにおもうんです。
この感情の倍速のギアのあげかたに〈わたし〉の濃度があるようにも、おもう。
たとえばさきほどの神野さんの句を(むりやりに)川柳にしてみるならば、「コンビニのおでんが好きで星大好き」と〈好き〉のギアをあげる感じです。「星きれい」と〈好き〉をそらすようなことはさせない。そのまま、濃縮を加速させる。
だから〈好き〉を濃縮還元した〈大好き〉ということばが川柳では使えるのではないか。そんなようにおもうのです。川柳にあってはどう〈わたし〉を濃縮還元していくかがひとつのテーマとなる場合もあるから。
網膜でおおきく和む微生物 柳本々々
(紫波川柳勉強会・ミニ誌上和発表誌第1回 2014年12月・題「和」・三浦蒼鬼 選・佳作)
【川柳で使えるコマンド「大好き」】
ある方から、きのうはNHKのラジオのぷちぷちケータイ俳句で、題が「告白」だったんですよ、とお聞きして、俳句と告白の組み合わせっておもしろいなあとおもったんですよ。
俳句ってじぶんにとっては非告白的な場所にあるものだとおもっていたんです。
できるだけ告白しないようにハードボイルドすると俳句ができあがる。そういう場所に俳句があるのかなあと。
だから、神野紗希さんの有名なコンビニのおでんの句があったりはするけれど、ひとつの俳句と川柳のちがいとして川柳においては〈好き〉や〈大好き〉を正面から主題化できるのかなあとおもうんですよ。
それは、なんでだろう、ってかんがえたときに、ひとつは発話主体のちがいにあるのではないだろうか、というふうにもおもうんです。
あえてかたよった、かなり乱暴で図式的ないいかたをしてみると、俳句のことばというのは、私(わたくし)をどんどん無化していって、わたくしが稀薄化したところにそれでも残ってしまったようなことばでも成立する。
だから俳句では、つまらないことをつまらないままに詠んでもいい、という言説もあったりする。
〈好き〉とか〈大好き〉というのはその点、〈好き〉=〈わたし〉と等価になってしまうから使えない。使いにくい。だから、神野さんの「コンビニのおでんが好きで星きれい」の「好き」は、〈わたし〉の「好き」ではなくて、非人称・無人称化された〈好き〉のようにもおもう。それは「コンビニ」や「星」というあまりにプレーンで平素なことばが〈好き〉を無人称化しているとおもうのです。(たぶん)だれもが(たいていは)コンビニのおでんが好きで、星がきれいだとおもうので。というか、好きじゃなくても、きれいだとおもわなくてもいい。これは普遍的なことばとしてのコンビニや星といったことばのアクセスのたやすさが〈わたし〉を無化しているのではないかとおもう。
そうした〈わたし〉を稀薄化していく俳句のことばがある一方で、川柳のことばにおいては逆に〈わたし〉の濃度を増幅させても、いい。
蒼鬼さんの句でダイナミズムをなしているのは、「寄り道」や「人間」ということばよりもむしろ「好きで」から「大好きで」への感情の倍速度にあるようにおもうんです。
この感情の倍速のギアのあげかたに〈わたし〉の濃度があるようにも、おもう。
たとえばさきほどの神野さんの句を(むりやりに)川柳にしてみるならば、「コンビニのおでんが好きで星大好き」と〈好き〉のギアをあげる感じです。「星きれい」と〈好き〉をそらすようなことはさせない。そのまま、濃縮を加速させる。
だから〈好き〉を濃縮還元した〈大好き〉ということばが川柳では使えるのではないか。そんなようにおもうのです。川柳にあってはどう〈わたし〉を濃縮還元していくかがひとつのテーマとなる場合もあるから。
網膜でおおきく和む微生物 柳本々々
(紫波川柳勉強会・ミニ誌上和発表誌第1回 2014年12月・題「和」・三浦蒼鬼 選・佳作)
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