【感想】妖精さんを、旅する-わたしの妖精ジャーニー-
- 2015/01/29
- 23:54
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬
妖精が書いた記事だと思います 竹井紫乙
妖精になりたいならばなりなさい 久留島元
洗濯できないポケットの妖精 小島百恵
【ふわり妖精途中下車の旅】
妖精をめぐる川柳というのがあるんです。
妖精の句でいちばん有名なのがたぶん柊馬さんの句だとおもいます。
妖精は酢豚に似ていると語り手がいっているんですが、「絶対似ている」と繰り返しいっているため、語りながらもみずからは信じきれていないことがわかります。もしほんとうに確信しているならば、繰り返すひつようはないからです。
では、この語り手は、なにを信じているのか。
語り手は、妖精は信じ切れていないかもしれないけれど、川柳=ことばを信じています。
だから、繰り返し語ることでそれが〈現実〉になると信じている。
妖精は酢豚ではないかもしれないけれど、その事態を言語化=川柳化することで、妖精は酢豚になります。
ことば=川柳のちからとは、おそらくそのようなものです。
紫乙さんの妖精句では、「思います」となっています。
これは、「信じます」ではないことがポイントです。
「思っている」わけです。ただし、思っているぶん、事態は信じているよりも、やっかいです。きちんと語り手はじぶんの思いをかんがえているうえで、「思います」と語っているわけです。つまり、「信じます」よりも〈きちんと信じている〉わけです。
久留島さんの妖精句。
「なりたいならばなりなさい」。妖精は語る対象だけではありません。行き着く〈場所〉としてもあらわれてきます。
この久留島さんの句では、妖精になれるかどうかは問題とされていません。あなたがなりたいかどうか、が問題になっているのです。だからこその、「なりたいならば」の仮定法です。そういえるのは、やはり、そもそもが、「妖精になれる」ということが前提としてあるからです。つまり、信じているのです。
あとは、〈あなた〉次第です。
小島さんの妖精句。
ポケットに妖精が棲んでいるため、洗濯ができません。妖精としての他者性と不可能性が端的にあらわれています。
他者は、不可侵である、という他者の定義が、洗濯という日常行為を介して、端的に語られています。
これは、ですから、ある意味、時事川柳ともいえます。
日常行為のなかでは、いつでも他者を侵すか・侵さないかの選択=洗濯があります。他者を侵すことはいつでもその代償が〈わたし〉に派生することがありますが、しかしそれが〈わたし〉の日常的行為=洗濯であるならば、なさなければならない。
では、どこでそれを線引きするのか。
それがおそらく〈政治〉だとおもいます。
妖精の、〈SEI〉は、わたしへの倫理的要請=妖精でもあると同時に、妖・政でもあるのです。
ちなみにわたしはシンポジウムで生(なま)の穂村弘さんをみたことがあるんですが、そのせつな、たしかに穂村さんのメガネのあたりに妖精をみたのです。ですから、そのとき、わたしが、おもったのは、
ほむほむの眼鏡に棲んでる妖精が短歌を吸って詩力をあげる 柳本々々
妖精が書いた記事だと思います 竹井紫乙
妖精になりたいならばなりなさい 久留島元
洗濯できないポケットの妖精 小島百恵
【ふわり妖精途中下車の旅】
妖精をめぐる川柳というのがあるんです。
妖精の句でいちばん有名なのがたぶん柊馬さんの句だとおもいます。
妖精は酢豚に似ていると語り手がいっているんですが、「絶対似ている」と繰り返しいっているため、語りながらもみずからは信じきれていないことがわかります。もしほんとうに確信しているならば、繰り返すひつようはないからです。
では、この語り手は、なにを信じているのか。
語り手は、妖精は信じ切れていないかもしれないけれど、川柳=ことばを信じています。
だから、繰り返し語ることでそれが〈現実〉になると信じている。
妖精は酢豚ではないかもしれないけれど、その事態を言語化=川柳化することで、妖精は酢豚になります。
ことば=川柳のちからとは、おそらくそのようなものです。
紫乙さんの妖精句では、「思います」となっています。
これは、「信じます」ではないことがポイントです。
「思っている」わけです。ただし、思っているぶん、事態は信じているよりも、やっかいです。きちんと語り手はじぶんの思いをかんがえているうえで、「思います」と語っているわけです。つまり、「信じます」よりも〈きちんと信じている〉わけです。
久留島さんの妖精句。
「なりたいならばなりなさい」。妖精は語る対象だけではありません。行き着く〈場所〉としてもあらわれてきます。
この久留島さんの句では、妖精になれるかどうかは問題とされていません。あなたがなりたいかどうか、が問題になっているのです。だからこその、「なりたいならば」の仮定法です。そういえるのは、やはり、そもそもが、「妖精になれる」ということが前提としてあるからです。つまり、信じているのです。
あとは、〈あなた〉次第です。
小島さんの妖精句。
ポケットに妖精が棲んでいるため、洗濯ができません。妖精としての他者性と不可能性が端的にあらわれています。
他者は、不可侵である、という他者の定義が、洗濯という日常行為を介して、端的に語られています。
これは、ですから、ある意味、時事川柳ともいえます。
日常行為のなかでは、いつでも他者を侵すか・侵さないかの選択=洗濯があります。他者を侵すことはいつでもその代償が〈わたし〉に派生することがありますが、しかしそれが〈わたし〉の日常的行為=洗濯であるならば、なさなければならない。
では、どこでそれを線引きするのか。
それがおそらく〈政治〉だとおもいます。
妖精の、〈SEI〉は、わたしへの倫理的要請=妖精でもあると同時に、妖・政でもあるのです。
ちなみにわたしはシンポジウムで生(なま)の穂村弘さんをみたことがあるんですが、そのせつな、たしかに穂村さんのメガネのあたりに妖精をみたのです。ですから、そのとき、わたしが、おもったのは、
ほむほむの眼鏡に棲んでる妖精が短歌を吸って詩力をあげる 柳本々々
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