レーズン発掘隊への参加、或いは大レーズン第一次遠征中の手記(彗星のように降るレーズンのなかで)
- 2015/02/03
- 02:00
安福望さんに、レーズン第一次遠征の最中につくった歌を絵にしていただきました。
安福さん、ありがとうございました!
レーズン発掘隊『食器と食パンとペン』
安福さんが記事のタイトルにされている「レーズン発掘隊」というすてきなことばにそれは端的かつビビッドにあらわれているとおもうのですが、安福さんがわたしに絵を通じて教えてくれたレーズンの主題とは、レーズンとはそのひとつひとつが旅である、レーズンをめぐるジャーニーなのではないか、ということです。
レーズンパンを食べるということは、じつはそのたったひとつのパンのなかで、レーズンの数だけ旅をするということでも、ある。
それは、くちびるからだけの旅ではありません。
パンのなかから〈発掘隊〉がこちらを向いているように、また、たくさんの〈レーズン鉱石〉を持った人物が立っているように、それは〈みる〉ものであり、〈所持=ふれる〉ものであり、〈発見〉されるものであり、〈わたされる〉ものであり、したがって〈つながりあう〉ものです。
その意味でも、また、レーズンは、人間の感覚をフルに稼働する旅なのではないか。
そんなふうに、伝説のレーズンを探すために、旅をしているとちゅうに、おもったのです。
Wi-Fiもつながらない、レーズンだけが駈け巡る凍った大地で、あるいはレーズン鉱堀で。
こんなふうに、安福さんの『食器と食パンとペン』は、短歌からひとつの〈ゆめ〉=イメージ=絵をみる試み、もしくは安福さんがみている〈ゆめ〉を短歌と共振させるこころみ、漱石風にいえば、安福望の〈夢千夜〉なのではないかとも、おもうのです。
そのときにおもったのです。
ひとは、短詩で、ゆめをみることができる、と。
めいめいのやりかたで。
いや、むしろ、
短詩がみている〈ゆめ〉が、ある。
おなじ記事中に安福さんが紹介してくださいましたが、今週の水曜日から2ヶ月間毎週水曜日にWEBマガジンの
『アパートメント』に短詩と夢と漱石『夢十夜』をめぐる『夢八夜』というショートショートを連載させていただきます(私は第19期の水曜日なのですが、第17期の水曜日の連載を担当されていたのが安福望さんでした。『犬と短歌』)。
短歌や俳句や川柳というのは、たった一首から、たった一句からゆめをみることができるのではないか、というひとつひとつの(そしておおきなひとつの)ながい〈ゆめ〉をぐるぐるつなげていこうとおもっています(このぐるぐるに漱石や現代小説・マンガ・ドラマもいっしょにぐるぐるさせてみようとおもいます)。
2ヶ月間のあいだに8つの夢を(短歌からふたつのゆめを、俳句からみっつのゆめを、川柳からみっつのゆめを)予定しています。
第一夜は、「マヨネーズの床」というマヨネーズをめぐる〈ゆめ〉です。
漱石の『夢十夜』の「第一夜」では「死にます」という女のことばにひきずりつづけられる男のはなしが〈ゆめ〉として描かれていますが、その「第一夜」とゆるくつながりつつも、マヨネーズをめぐりめぐる〈ゆめ〉の話になっています。
ジャンルとジャンルを結びあわせていくマヨネーズのような横断越境性をもっておられる方の〈マヨネーズ〉からの〈ゆめ〉です(その方のだいすきな短歌や俳句や川柳がたくさんあったのですが、ふだんわたしがかんがえたり書いたりしている〈マヨネーズ・シリーズ〉として、だいすきなマヨネーズにしました)。
いつもとは少し趣向がちがいますが、もしお時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
よろしくお願いいたします。 もともと
安福さん、ありがとうございました!
レーズン発掘隊『食器と食パンとペン』
安福さんが記事のタイトルにされている「レーズン発掘隊」というすてきなことばにそれは端的かつビビッドにあらわれているとおもうのですが、安福さんがわたしに絵を通じて教えてくれたレーズンの主題とは、レーズンとはそのひとつひとつが旅である、レーズンをめぐるジャーニーなのではないか、ということです。
レーズンパンを食べるということは、じつはそのたったひとつのパンのなかで、レーズンの数だけ旅をするということでも、ある。
それは、くちびるからだけの旅ではありません。
パンのなかから〈発掘隊〉がこちらを向いているように、また、たくさんの〈レーズン鉱石〉を持った人物が立っているように、それは〈みる〉ものであり、〈所持=ふれる〉ものであり、〈発見〉されるものであり、〈わたされる〉ものであり、したがって〈つながりあう〉ものです。
その意味でも、また、レーズンは、人間の感覚をフルに稼働する旅なのではないか。
そんなふうに、伝説のレーズンを探すために、旅をしているとちゅうに、おもったのです。
Wi-Fiもつながらない、レーズンだけが駈け巡る凍った大地で、あるいはレーズン鉱堀で。
こんなふうに、安福さんの『食器と食パンとペン』は、短歌からひとつの〈ゆめ〉=イメージ=絵をみる試み、もしくは安福さんがみている〈ゆめ〉を短歌と共振させるこころみ、漱石風にいえば、安福望の〈夢千夜〉なのではないかとも、おもうのです。
そのときにおもったのです。
ひとは、短詩で、ゆめをみることができる、と。
めいめいのやりかたで。
いや、むしろ、
短詩がみている〈ゆめ〉が、ある。
夢というのはそうなんです。一言、恣意のような言葉が入って、その言葉に呪縛されて、夢が構成される。 古井由吉『漱石研究8 夢十夜』
おなじ記事中に安福さんが紹介してくださいましたが、今週の水曜日から2ヶ月間毎週水曜日にWEBマガジンの
『アパートメント』に短詩と夢と漱石『夢十夜』をめぐる『夢八夜』というショートショートを連載させていただきます(私は第19期の水曜日なのですが、第17期の水曜日の連載を担当されていたのが安福望さんでした。『犬と短歌』)。
短歌や俳句や川柳というのは、たった一首から、たった一句からゆめをみることができるのではないか、というひとつひとつの(そしておおきなひとつの)ながい〈ゆめ〉をぐるぐるつなげていこうとおもっています(このぐるぐるに漱石や現代小説・マンガ・ドラマもいっしょにぐるぐるさせてみようとおもいます)。
2ヶ月間のあいだに8つの夢を(短歌からふたつのゆめを、俳句からみっつのゆめを、川柳からみっつのゆめを)予定しています。
第一夜は、「マヨネーズの床」というマヨネーズをめぐる〈ゆめ〉です。
漱石の『夢十夜』の「第一夜」では「死にます」という女のことばにひきずりつづけられる男のはなしが〈ゆめ〉として描かれていますが、その「第一夜」とゆるくつながりつつも、マヨネーズをめぐりめぐる〈ゆめ〉の話になっています。
ジャンルとジャンルを結びあわせていくマヨネーズのような横断越境性をもっておられる方の〈マヨネーズ〉からの〈ゆめ〉です(その方のだいすきな短歌や俳句や川柳がたくさんあったのですが、ふだんわたしがかんがえたり書いたりしている〈マヨネーズ・シリーズ〉として、だいすきなマヨネーズにしました)。
いつもとは少し趣向がちがいますが、もしお時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
よろしくお願いいたします。 もともと
- 関連記事
-
- 【お知らせ】「【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く~意味よりもほんの少し前に~(聴き手:柳本々々)」『川柳スープレックス』 (2015/04/08)
- 【お知らせ】『バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記』句と文・柳本々々/絵・安福望、春陽堂書店、2019年8月28日発売 (2020/03/28)
- 【お知らせ】飯田有子さんの文芸スキマ誌『別腹』(第二十回文学フリマ)に〈ぷりぷり〉方面から参加 (2015/04/25)
- 【お知らせ】書評「転校生は助詞まみれ-小池正博句集『転校生は助詞まみれ』評」『豈』59号・2016年12月 (2017/01/22)
- 【お知らせ】『Senryu So 終刊号Vol.6』2014秋(発行 石川街子・妹尾凛・八上桐子) (2014/10/30)
スポンサーサイト
- テーマ:詩・ことば
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々のお知らせ