【感想】好きですといわれた場所にまたもどる 月波与生
- 2015/02/03
- 00:01
好きですといわれた場所にまたもどる 月波与生
【サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい】
この月波さんの句を読んだときに、あ、そうか、ことばっていうのは、じぶんがいってもらったことば、投げかけてもらったことばっていうのはそれそのものが〈場所〉なんだなというのがよくわかる句です。
しかも、この句が「またもどる」と教えてくれたように、その〈場所〉は〈不変〉なわけです。
いちどことばによってできた場所は、ずっと、変わらない。
だから、「またもどる」ことも、できる。
どうして、変わらないのか。
それもこの句がおしえてくれています。
「好きですといわれた場所」。
じぶんがなにかを発話した場所ではなくて、他者がじぶんに対して言ってくれた場所です。
他者が投げかけてくれたことばというのは、じぶんで書き換えることも、解消することもできない場所です。
もちろん、〈解釈〉はできます。
しかし、他者のことばは、いつまでもじゅうにぶんに解釈しできないもの、解釈しても解釈しても解釈しそこねるものとして、〈その場〉にわたしの歴史としてとどまりつづける。
だから、他(ひと)のきもちってわからないんです。
たとえば、夏目漱石の『こころ』では、だれひとり、他(あいて)のきもちがわからない。先生にとってKのきもちはわからない。わたくしにとって先生のきもちはわからない。読者にとって先生の妻の「静」がなにをかんがえていたかどんなきもちでいたかわからない。
わからないまま、みんな、しんでゆく。
でもことばは、のこる。
ことばだけが、場所として、その場にとどまりつづける。
だから、なんども、またもどる。
そしてそのなかから、〈わたしの生〉をえらびとることも、できる。
もういちど、やりなおしたいから、手をあげることができる。
にんげんになりたいものは手をあげて 月波与生
はい。
【サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい】
この月波さんの句を読んだときに、あ、そうか、ことばっていうのは、じぶんがいってもらったことば、投げかけてもらったことばっていうのはそれそのものが〈場所〉なんだなというのがよくわかる句です。
しかも、この句が「またもどる」と教えてくれたように、その〈場所〉は〈不変〉なわけです。
いちどことばによってできた場所は、ずっと、変わらない。
だから、「またもどる」ことも、できる。
どうして、変わらないのか。
それもこの句がおしえてくれています。
「好きですといわれた場所」。
じぶんがなにかを発話した場所ではなくて、他者がじぶんに対して言ってくれた場所です。
他者が投げかけてくれたことばというのは、じぶんで書き換えることも、解消することもできない場所です。
もちろん、〈解釈〉はできます。
しかし、他者のことばは、いつまでもじゅうにぶんに解釈しできないもの、解釈しても解釈しても解釈しそこねるものとして、〈その場〉にわたしの歴史としてとどまりつづける。
だから、他(ひと)のきもちってわからないんです。
たとえば、夏目漱石の『こころ』では、だれひとり、他(あいて)のきもちがわからない。先生にとってKのきもちはわからない。わたくしにとって先生のきもちはわからない。読者にとって先生の妻の「静」がなにをかんがえていたかどんなきもちでいたかわからない。
わからないまま、みんな、しんでゆく。
でもことばは、のこる。
ことばだけが、場所として、その場にとどまりつづける。
だから、なんども、またもどる。
そしてそのなかから、〈わたしの生〉をえらびとることも、できる。
もういちど、やりなおしたいから、手をあげることができる。
にんげんになりたいものは手をあげて 月波与生
はい。
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