【感想】液状化するピアノ、或いはピアノの剥き身
- 2015/02/03
- 01:00
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄
【イメージの剥き身】
西原天気さんの句集『けむり』をさいきん読み直していて、イメージの変幻が句集のあちこちに遍在しているのもひとつの〈けむり〉なのかなと思いながら読んでいたのですが、たとえばこんな句があります。
春の夜のピアノのやうな水たまり 西原天気
「ピアノ」っていうのは無機質で、硬質で、それ以上、形態を変えようがないのが「ピアノ」です。
ところがこの句においては、「ピアノ」が「ピアノのやうな水たまり」とゆるやかに直喩を経由しながら液状化してゆく。
液状化するピアノといえばすぐに思い出すのが、塚本さんの短歌です。
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄
塚本さんの場合、「凭りかかられて」とあるので、〈身体〉が起因になってピアノが液化していくのに対し、西原さんの句では、「のやうな」と直喩=〈言語〉が起因になってピアノが液状化していく。
また、塚本さんの短歌がすこしずつ漸進的に液化しているのに対し、西原さんの句では既に液状化しているのも特徴的です。
「ピアノ」が自身の触媒としての〈身体〉や〈言語〉をひきよせながら、自身を液体化させてゆく。
裏返せば、そんなピアノのピアノ性もみえてきたりもします。
身体や言語が起因というよりは、むしろ、ピアノが起因だったのではないか。
ピアノというのは、身体=〈弾く〉や言語=〈声〉によって〈音〉を出すことで、演奏者の身体や、歌い手の声と共振し、交じり合っていきます。
その意味で、ピアノは働きかけたときに、イメージのなかでは固体というよりは液状化している。
それは空間の隅々へと音=液となって浸透していくものです。
もしことばの〈前衛〉性というものがあるのであれば、そうしたふだんイメージのなかで行われている無意識の数式をそのまま、剥き出しの言語等式として定型化することにあるのではないかとおもうのです。
たとえば、本来的には、よりかかってピアノは液化しないし、ピアノ≒水たまりの等式はつくれない。
でもそれらを剥き出しの等式として定型で提示することによって、ふだん無意識にイメージのなかでなにげなくおこなっている等式化の作業がみえてくる。
わたしたちは、ピアノをピアノとしてイメージしているだけではなくて、流れるような液状化するメロディーのなかでピアノ性を認識している。
それを、剥き身でひっぱりだす/せるのが〈前衛〉性なのではないかともおもうのです。
絶唱にちかき一首を書きとめつ机上突然枯野のにほひ 塚本邦雄
【イメージの剥き身】
西原天気さんの句集『けむり』をさいきん読み直していて、イメージの変幻が句集のあちこちに遍在しているのもひとつの〈けむり〉なのかなと思いながら読んでいたのですが、たとえばこんな句があります。
春の夜のピアノのやうな水たまり 西原天気
「ピアノ」っていうのは無機質で、硬質で、それ以上、形態を変えようがないのが「ピアノ」です。
ところがこの句においては、「ピアノ」が「ピアノのやうな水たまり」とゆるやかに直喩を経由しながら液状化してゆく。
液状化するピアノといえばすぐに思い出すのが、塚本さんの短歌です。
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄
塚本さんの場合、「凭りかかられて」とあるので、〈身体〉が起因になってピアノが液化していくのに対し、西原さんの句では、「のやうな」と直喩=〈言語〉が起因になってピアノが液状化していく。
また、塚本さんの短歌がすこしずつ漸進的に液化しているのに対し、西原さんの句では既に液状化しているのも特徴的です。
「ピアノ」が自身の触媒としての〈身体〉や〈言語〉をひきよせながら、自身を液体化させてゆく。
裏返せば、そんなピアノのピアノ性もみえてきたりもします。
身体や言語が起因というよりは、むしろ、ピアノが起因だったのではないか。
ピアノというのは、身体=〈弾く〉や言語=〈声〉によって〈音〉を出すことで、演奏者の身体や、歌い手の声と共振し、交じり合っていきます。
その意味で、ピアノは働きかけたときに、イメージのなかでは固体というよりは液状化している。
それは空間の隅々へと音=液となって浸透していくものです。
もしことばの〈前衛〉性というものがあるのであれば、そうしたふだんイメージのなかで行われている無意識の数式をそのまま、剥き出しの言語等式として定型化することにあるのではないかとおもうのです。
たとえば、本来的には、よりかかってピアノは液化しないし、ピアノ≒水たまりの等式はつくれない。
でもそれらを剥き出しの等式として定型で提示することによって、ふだん無意識にイメージのなかでなにげなくおこなっている等式化の作業がみえてくる。
わたしたちは、ピアノをピアノとしてイメージしているだけではなくて、流れるような液状化するメロディーのなかでピアノ性を認識している。
それを、剥き身でひっぱりだす/せるのが〈前衛〉性なのではないかともおもうのです。
絶唱にちかき一首を書きとめつ机上突然枯野のにほひ 塚本邦雄
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