【感想】恋猫に懐かれ倒るわが遺骨 関悦史
- 2014/05/18
- 18:50
恋猫に懐かれ倒るわが遺骨 関悦史
【一つ目のオリビアと俳句四次元ポケット】
関悦史さんといえば、この黄色い一つ目のオリビアというマスコット的存在が印象的です。
関さん自身によるオリビアの説明があるので、すこし引用してみます。
この黄色い一つ目の物体はオリビアという。名前は適当に付けた。写真が趣味の友人がいて、よく車の助手席に乗せられ、一緒にあちこち撮影に行く。元は廃墟物件などを撮っていたが、ある時期から皆取り壊されて残らなくなった。そこで出て来たのがオリビアである。これを置くだけで何の変哲もない風景がたちまち妙なものになる。(……)ちなみにこれ、元は浴槽の入浴時用の枕である。
関悦史「旅のお供の黄色い物」『俳句』2013/3
ここでわたしはあえて「オリビア」を関さんの俳句の補助線として、どのような風景がみえてくるのかをすこしかんがえてみようとおもいます。思い切ったいいかたをしてみるならば、定型詩の問題系にオリビアが深くからんでいるようにもおもうからです。
オリビアからどんな風景がみえてくるのか。
まずひとつは、「オリビア」というあらたな視線の獲得です。オリビアはその目がとても印象的ですが(というよりも、〈目〉そのものですが)、人間の眼にかんたんに同一化されないような目であることが大事なようにおもいます。
これは関さんのまなざしそのものとは重なることのない視線でもあるとおもいます。なぜなら「オリビア」という固有名があたえられた「入浴時用枕」は関悦史自身のまなざしと重なることなく、関悦史+オリビアという〈付加〉としての視線になるからです。それはつねに〈and〉としての視線です。
この〈and〉としての視線という公式は、関さんの俳句にじつはひとつのモチーフとしてあらわれている風景だったのではないかとおもうのです。
たとえばうえにあげた「恋猫に懐かれ倒るわが遺骨」は、あきらかに死後の語り手が骨となっている語り手自身と猫との戯れを詠んだものだとおもうのですが、そこにあるのは死後も存在しつづける〈and〉の視線です。
「遺骨」としての、まなざしをすでに棄却されている語り手が、その語り手自身を〈外〉からまなざす視線が存在しています。「遺骨」になってなお「倒る」という破壊される語り手をみつめるまなざしがあるのです。
またたとえば、関さんの、
まぼろしの館の中の水着かな
の句にも同じ構造が見え隠れしているようにもおもいます。上五の「まぼろしの」で現実をまなざす力は相殺されてしまうはずなのですが下五において「水着かな」と具体物に対して切れ字で終わらせるほどの詠嘆を語り手がかんじているのが特徴です。上五→中七→下五において語り手の視線がズームアップしていき、水着という明確な具体物に行き着いたときに詠嘆の切れ字によって読み手の空間もひろがっていくのですが、これらのすべての〈起源〉が「まぼろし」として設定されているのが特徴的なのではないかとおもうんです。
だからここでも〈現実〉を超えた「まぼろし」のなかにある〈and〉のまなざしが存在しているようにおもうのです。
また、オリビアとしての風景をかんがえるふたつめに、〈and〉の視線だけでなく、オリビアが「一つ目」であることも大事なようなきがします。人間のふたつの眼としての消失点が存在しているような遠近法的風景をずらし、三次元のまなざししかもつことのできなかった語り手にもう一次元を導入する〈and 一次元〉のまなざしがオリビアなのではないかと。
だから関さんの俳句の特徴のひとつに、俳句としての四次元感、時間を超越する四次元俳句のようなものがある、もしくはそのような視線構造が胚胎していたものがオリビアとして事後的に表象されたのではないかとおもうのです。
それは、オリビアの〈起源〉がそうであったように「枕」としてのまなざしのような、まなざしの背後にある、まなざすことがはじめから閉ざされているなかでの四次元的まなざしだったのではないかと。
四次元はわれらを見つつ萌えてゐる 関悦史
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