【感想】万歳をゆく夕立の山手線 山下つばさ
- 2015/02/10
- 12:13
万歳をゆく夕立の山手線 山下つばさ
【最高速度時速90kmの万歳】
この「万歳」っていろいろ意味がとれるかもしれないからひとつの解釈として(「万歳(ばんぜい)」をゆく=長い年月をゆく、とも取れる可能性が大いにあるので「バンザイ」は間違ってるかもしれないことを前提で)、電車に乗っているときに体操選手みたいに両手で電車の手すりの両輪をにぎってぶらさがっているときがある。
それがある意味、都市のまっただなかを水平移動しながら駆け抜けてゆく「万歳」なのかなあとおもうんです。
で、もしかりにこの「万歳」はそういった手すりをふたつの手でつかんだまま窓の外の風景を眺めているバンザイだとして、電車の外は夕立だからけっこうどしゃ降りなわけです。
ところが電車のなかはたとえ外がどしゃ降りでも〈静〉の空間である。万歳もできちゃうくらいに、静の空間としてある。
万歳ってあらためてかんがえれば、降参のポーズですよね。相手に隙を全開で見せて、相手に対してみずからの身体の権利を委譲するのが、もろてをあげる降参です。
そうかんがえると、窓の外の夕立の隙間ない〈動〉の空間に対して、山手線のなかにおいて隙間を生産する〈静〉としての万歳をしている。
そういう対比構造の句としてみることができるんじゃないかとおもうんです。
でも、どっちもあってこそなわけです。
ただ晴れの日に車内でばんざいして隙をつくってても意味がないし、車外がただどしゃ降りでも意味がないわけです。
どっちもあってこそなんです。
どっちもないといけないし、その〈どっち〉として機能している。
だからそういう〈どっち〉もの磁力をつかった表情はたとえばこんなふうにあらわれるわけです。
菜の花や涙こぼさぬやうわらふ 山下つばさ
【最高速度時速90kmの万歳】
この「万歳」っていろいろ意味がとれるかもしれないからひとつの解釈として(「万歳(ばんぜい)」をゆく=長い年月をゆく、とも取れる可能性が大いにあるので「バンザイ」は間違ってるかもしれないことを前提で)、電車に乗っているときに体操選手みたいに両手で電車の手すりの両輪をにぎってぶらさがっているときがある。
それがある意味、都市のまっただなかを水平移動しながら駆け抜けてゆく「万歳」なのかなあとおもうんです。
で、もしかりにこの「万歳」はそういった手すりをふたつの手でつかんだまま窓の外の風景を眺めているバンザイだとして、電車の外は夕立だからけっこうどしゃ降りなわけです。
ところが電車のなかはたとえ外がどしゃ降りでも〈静〉の空間である。万歳もできちゃうくらいに、静の空間としてある。
万歳ってあらためてかんがえれば、降参のポーズですよね。相手に隙を全開で見せて、相手に対してみずからの身体の権利を委譲するのが、もろてをあげる降参です。
そうかんがえると、窓の外の夕立の隙間ない〈動〉の空間に対して、山手線のなかにおいて隙間を生産する〈静〉としての万歳をしている。
そういう対比構造の句としてみることができるんじゃないかとおもうんです。
でも、どっちもあってこそなわけです。
ただ晴れの日に車内でばんざいして隙をつくってても意味がないし、車外がただどしゃ降りでも意味がないわけです。
どっちもあってこそなんです。
どっちもないといけないし、その〈どっち〉として機能している。
だからそういう〈どっち〉もの磁力をつかった表情はたとえばこんなふうにあらわれるわけです。
菜の花や涙こぼさぬやうわらふ 山下つばさ
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