【感想】んんんんん何もかもんんんんんんんもう何もかもんんんんんんん 荻原裕幸
- 2015/02/11
- 23:55
んんんんん何もかもんんんんんんんもう何もかもんんんんんんん 荻原裕幸
【ん、って生命(いのち)】
荻原さんの川柳の連作「るるるると逝く」に、こんな句があるんです。
ぎざぎざに触ると声がしなくなる 荻原裕幸
鼻濁音か懸賞金かで揉めている 〃
この句をみてみるとわかるんですが、ぎざぎざなどの濁音って荻原さんの言語世界にとってはどうも〈命とり〉になるようなんですよ。
声がしなくなったり、揉める原因になったりするものなんです。
その一方で濁らない音、ん、や、ぽ、などははねるような撥音だったり(ん)、ぽんとはじけれ破裂音(ぽ)はどうも荻原さんの言語世界ではリビドーのようなエネルギー、ことばのエネルギー=〈生命〉になっている。
鼻・濁音がタナトス(破壊衝動)なら、非・濁音はエロス(生命の充溢)というかんじなのです。
じっさい、ぽぽぽぽやんんんんのようにあふれてくる。
そしてあふれるだけで、いい。
濁音は、意味世界に帰着していきますよね。声がでなくなるとか、揉めるとか。
でも、ぽぽぽぽやんんんんは非意味の世界に昇華されていく。
誤解をおそれずにいうならば、その意味において、ぽぽぽぽの歌もんんんんの歌もエロスの歌、生命充溢の歌、エロい歌だとおもうのです。言語的にエロい。
エロいっていうことは、言語的に分節できない世界におもむくことです。
たとえば、ひとは〈イク〉ときに〈イク〉とは発話することもできるし言語化できるけれど、〈イっていること自体〉を言語化はできない。バタイユもたしかそのような非分節的な瞬間を、「至高性」や「内的生命」と呼んでいたはずです。
かんがえてみれば、〈イク〉ってことばってちょっと変なんですよね。〈イっている〉とはいわないわけです。
ひとは、〈イク〉といって〈イク〉のですが、〈イっている〉ときに〈イっている〉とは言わない。これは、言語化できないからです。言語化できないけれど、充溢しているわけです。
で、この感覚に、じつは、ぽぽぽぽやんんんんは近いのではないかとおもうのです。
そういえば、荻原さんの川柳の連作タイトルも、「るるるると逝く」でした。「逝く」と「イク」はどちらも〈昇天〉ということばにあらわされるように、言語分節のできなくなる領域としては近い領域にある。〈至高〉の状態として。
そんなふうにバタイユからぽぽぽぽやんんんんにちかづいていくこともできるのではないかとも、おもうのです。
すべてのことばがわすれさられ、すてさられ、逝ってしまった場所において、可能性を、生と力をみいだしてみること。
ある可能性が私をしばしば考えさせるが、忘れることでこれをいちど追い払う必要がある。この可能性には滑るように小川を流れてゆく漂流物のようにやがて出会うことになるだろう。出会ったらこれが気に入ることだろう。そしてこれは見捨てられたままにとどまり私はそこに生と力を見出すだろう。 バタイユ
【ん、って生命(いのち)】
荻原さんの川柳の連作「るるるると逝く」に、こんな句があるんです。
ぎざぎざに触ると声がしなくなる 荻原裕幸
鼻濁音か懸賞金かで揉めている 〃
この句をみてみるとわかるんですが、ぎざぎざなどの濁音って荻原さんの言語世界にとってはどうも〈命とり〉になるようなんですよ。
声がしなくなったり、揉める原因になったりするものなんです。
その一方で濁らない音、ん、や、ぽ、などははねるような撥音だったり(ん)、ぽんとはじけれ破裂音(ぽ)はどうも荻原さんの言語世界ではリビドーのようなエネルギー、ことばのエネルギー=〈生命〉になっている。
鼻・濁音がタナトス(破壊衝動)なら、非・濁音はエロス(生命の充溢)というかんじなのです。
じっさい、ぽぽぽぽやんんんんのようにあふれてくる。
そしてあふれるだけで、いい。
濁音は、意味世界に帰着していきますよね。声がでなくなるとか、揉めるとか。
でも、ぽぽぽぽやんんんんは非意味の世界に昇華されていく。
誤解をおそれずにいうならば、その意味において、ぽぽぽぽの歌もんんんんの歌もエロスの歌、生命充溢の歌、エロい歌だとおもうのです。言語的にエロい。
エロいっていうことは、言語的に分節できない世界におもむくことです。
たとえば、ひとは〈イク〉ときに〈イク〉とは発話することもできるし言語化できるけれど、〈イっていること自体〉を言語化はできない。バタイユもたしかそのような非分節的な瞬間を、「至高性」や「内的生命」と呼んでいたはずです。
かんがえてみれば、〈イク〉ってことばってちょっと変なんですよね。〈イっている〉とはいわないわけです。
ひとは、〈イク〉といって〈イク〉のですが、〈イっている〉ときに〈イっている〉とは言わない。これは、言語化できないからです。言語化できないけれど、充溢しているわけです。
で、この感覚に、じつは、ぽぽぽぽやんんんんは近いのではないかとおもうのです。
そういえば、荻原さんの川柳の連作タイトルも、「るるるると逝く」でした。「逝く」と「イク」はどちらも〈昇天〉ということばにあらわされるように、言語分節のできなくなる領域としては近い領域にある。〈至高〉の状態として。
そんなふうにバタイユからぽぽぽぽやんんんんにちかづいていくこともできるのではないかとも、おもうのです。
すべてのことばがわすれさられ、すてさられ、逝ってしまった場所において、可能性を、生と力をみいだしてみること。
ある可能性が私をしばしば考えさせるが、忘れることでこれをいちど追い払う必要がある。この可能性には滑るように小川を流れてゆく漂流物のようにやがて出会うことになるだろう。出会ったらこれが気に入ることだろう。そしてこれは見捨てられたままにとどまり私はそこに生と力を見出すだろう。 バタイユ
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