【短歌・連作】「sex」『かばん』2015年2月号
- 2015/02/13
- 21:24
【詞書】私の眼球は恐怖のあまり勃起し今にも頭蓋から飛び出すのではないかと思えるばかりだった。 バタイユ『眼球譚』
すること、じゃ/なく、しないこと/も、つみなん/ですよね、としたたらず、わたしは
《ヌ/ル/ハ/チ》ときみのくちびる割れてゆくぼくの世界がせばまってゆく
箱庭にローションすこしかかってる ねえなに、どこがこわれているの
冬の夜楽譜のように飛び散った♪(せいし)の行方たどるAV
カーテンのひだの内よりやや強く修辞が茂るキッチンの奥
あおむけの椅子をみているこんなにも拒んだようなおまえのおなか
体組織、ティッシュのようにはがれおちなんどもきみと初めてであう
生殖器(少しティッシュがついている) 対 (少しティッシュがつく)生殖器
柳本々々「sex」『かばん』2015年2月号
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【添え書きの花園】
ときどき、信号待ちしているときに、バタイユの『眼球譚』のことをかんがえている。それからそのあとで、ゆでたまご付きのチェダーチーズサンドイッチとアップルティー(英字ビスケット付き)の下北沢で食べたランチのことを、すこし、かんがえる。
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本号にて櫛木千尋さん、とみいえひろこさんから連作と歌のていねいな歌評をいただきました。読ませていただいてとても勉強になりました。ありがとうございました!
あんなにもやさしいきみがぶりぶりと魚を捌(さば)く背中の凹凸(おうとつ) 柳本々々
実験的な作品を並べた一連の中で、この歌は、しかけの面白さより表現に重点が置かれていると思えた(「魚」つながりで最後の歌と円環をなすという配列上のしかけはあるが)。魚を捌く描写として、内臓のネチャネチャした感触と、普段は見せない腕まくりで思い切りよく仕事をする姿の両方を「ぶりぶり」と言い表したのは、ぴったりの表現を見つけられたものだと思う。 櫛木千尋「十二月号評」
よくみれば体育座りは複雑に折り畳まれたこころのようだ 柳本々々
文字に表れた「私」がその号の紙面にどのように立っているか。「体育座り」が「複雑に折り畳まれたこころ」の記号である、という。「こころ」をどう直接とらえるか。体育座りでうつむいて、自分の目を見つめているよう。 とみいえひろこ「何を見つめているのだろう かばん十二月号鑑賞」
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ストーヴの近くの席は暑かった 真上で黒板消しをはたいた 櫛木千尋
告白は薄暗きもの鍵のなき森に北風なつかしく入る とみいえひろこ
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本号の表紙絵は、東直子さんの「アルパカのリボン」でした。
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