【お知らせ】「【俳句/川柳を足から読む】ホモ・サピエンスのための四つん這い入門(或いはカーニバルとしてのバレンタイン・メリイ・クリスマス)」『週刊俳句 第408号』
- 2015/02/15
- 01:03
『http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/02/4082015215.html?m=1" title="週刊俳句 第408号">週刊俳句 第408号』にて「 ホモ・サピエンスのための四つん這い入門(或いはカーニバルとしてのバレンタイン・メリイ・クリスマス)」という文章を載せていただきました。『週刊俳句』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
今回は、神野紗希さんの俳句と、飯田良祐さんの川柳を、〈脚〉=〈足〉から読んでみるという試みをおこなってみました。
頭ではなく、こころでもなく、眼でもなく、魂でもなけ、ことばでもなく、足から読んでみるとどうなるか。
そんなことを四つん這いしながら、かんがえつづけ、おもいついてはその場で四つん這いしたまま書き留め、また四つん這いをつづけてみるということをしてみました。
でも、かんがえてみると、『吾輩は猫である』の語り手である猫は、そうやって四つん這いをしつづけながら、足から、人間世界を語り続けたのです。
だから、猫が語ることばは、足の言語だった。
これはけっこう大事なことなのではないかとおもいます。
そもそもわたしたちは、だれもが四つん這いからその生をはじめています。
わたしたちの言語は、もしかしたら足にあるかもしれない。そして足にかえっていくかもしれない。
そんなことをかんがえながら、書いてみました。
スフィンクスはオイディプスにこんな謎かけをしています。
「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」
オイディプスの横で四つん這いをしたままのわたしはきっとこう答えるはずです。
それは、わたしだと。朝はいつもなかなか起きられない、もうふをかぶったまま、四つん這いしたまま、リビングに向かう。そしてそのままソファにたおれこんで、二度寝する。
でも夜になれば、げんきになって、片手で四つん這いすることもできる。
だから、答えは、わたしです、と。
不正解の看板をあげるスフィンクス。
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
今回は、神野紗希さんの俳句と、飯田良祐さんの川柳を、〈脚〉=〈足〉から読んでみるという試みをおこなってみました。
頭ではなく、こころでもなく、眼でもなく、魂でもなけ、ことばでもなく、足から読んでみるとどうなるか。
そんなことを四つん這いしながら、かんがえつづけ、おもいついてはその場で四つん這いしたまま書き留め、また四つん這いをつづけてみるということをしてみました。
でも、かんがえてみると、『吾輩は猫である』の語り手である猫は、そうやって四つん這いをしつづけながら、足から、人間世界を語り続けたのです。
だから、猫が語ることばは、足の言語だった。
これはけっこう大事なことなのではないかとおもいます。
そもそもわたしたちは、だれもが四つん這いからその生をはじめています。
わたしたちの言語は、もしかしたら足にあるかもしれない。そして足にかえっていくかもしれない。
そんなことをかんがえながら、書いてみました。
スフィンクスはオイディプスにこんな謎かけをしています。
「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」
オイディプスの横で四つん這いをしたままのわたしはきっとこう答えるはずです。
それは、わたしだと。朝はいつもなかなか起きられない、もうふをかぶったまま、四つん這いしたまま、リビングに向かう。そしてそのままソファにたおれこんで、二度寝する。
でも夜になれば、げんきになって、片手で四つん這いすることもできる。
だから、答えは、わたしです、と。
不正解の看板をあげるスフィンクス。
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