【感想】泉泣きながら釦だらけの谷 宮本佳世乃
- 2015/02/16
- 12:53
泉泣きながら釦だらけの谷 宮本佳世乃
【号泣しながら手芸屋さんにいる】
とても好きな句で、わたしもめそめそ泣いているときにいつかボタンだらけの谷にいけるのかなあと思いながら、いつもわんわん声をあげて泣いているんですが、このやっぱり「釦だらけの谷」というのがおもしろいとおもうんですよね。
釦っていうのは衣服をつなぎとめるものとしてあるわけなので、あくまで付随的なモノです。
またそうした付随を待つものとして、手芸屋さんなどにあるわけです。
わたしもときどき意味もなく手芸屋さんに入って大量の釦をじっとみつめていることがあります。じぶんがあぶないなとおもうと同時に、でも大量のぼたんってなんてすてきなんだろうとおもう瞬間です。
でもこの句のおびただしい数の釦は、谷にあります。
つまり、それはもう付随的なモノとなることをやめたボタンたちです。もっといえば、ボタンがボタンであることをやめたボタンたちです。
象には死ぬ場所があるという〈象の墓場〉という言い伝えがありますが、それにちなんでいうならばこれは〈釦の墓場〉です。
そこに「泣きながら」語り手が入ってくる。
泣くことによって違うフェイズに語り手がはいってゆく。
ふだんゆくこともなかったような場所に入ってゆく。
もしかしたらわんわん泣くことによって語り手もまた付随的な〈だれかの〉価値であることをやめたのかもしれない。
泣く、ということは、あくまでじぶんが身体に率直であるということだから。
釦が釦であることをやめ、釦そのままに谷に落ちているように。
語り手も、泣くことによって、だれかのじぶんであることをやめ、じぶんのためのじぶんのフェイズをみいだしている。
そんなしゅんかんの句なのではないか。
だから、手芸屋さんで釦をじっとみつめて泣いているひとがいたら、そっとしてあげておいてほしい。
きっとそのひとは、釦だらけの谷にいて、あたらしいフェイズに、あたらしく生き直すための〈墓〉にむかいゆくひとなのです。
夏の墓何もしないで帰つてくる 宮本佳世乃
【号泣しながら手芸屋さんにいる】
とても好きな句で、わたしもめそめそ泣いているときにいつかボタンだらけの谷にいけるのかなあと思いながら、いつもわんわん声をあげて泣いているんですが、このやっぱり「釦だらけの谷」というのがおもしろいとおもうんですよね。
釦っていうのは衣服をつなぎとめるものとしてあるわけなので、あくまで付随的なモノです。
またそうした付随を待つものとして、手芸屋さんなどにあるわけです。
わたしもときどき意味もなく手芸屋さんに入って大量の釦をじっとみつめていることがあります。じぶんがあぶないなとおもうと同時に、でも大量のぼたんってなんてすてきなんだろうとおもう瞬間です。
でもこの句のおびただしい数の釦は、谷にあります。
つまり、それはもう付随的なモノとなることをやめたボタンたちです。もっといえば、ボタンがボタンであることをやめたボタンたちです。
象には死ぬ場所があるという〈象の墓場〉という言い伝えがありますが、それにちなんでいうならばこれは〈釦の墓場〉です。
そこに「泣きながら」語り手が入ってくる。
泣くことによって違うフェイズに語り手がはいってゆく。
ふだんゆくこともなかったような場所に入ってゆく。
もしかしたらわんわん泣くことによって語り手もまた付随的な〈だれかの〉価値であることをやめたのかもしれない。
泣く、ということは、あくまでじぶんが身体に率直であるということだから。
釦が釦であることをやめ、釦そのままに谷に落ちているように。
語り手も、泣くことによって、だれかのじぶんであることをやめ、じぶんのためのじぶんのフェイズをみいだしている。
そんなしゅんかんの句なのではないか。
だから、手芸屋さんで釦をじっとみつめて泣いているひとがいたら、そっとしてあげておいてほしい。
きっとそのひとは、釦だらけの谷にいて、あたらしいフェイズに、あたらしく生き直すための〈墓〉にむかいゆくひとなのです。
夏の墓何もしないで帰つてくる 宮本佳世乃
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