【感想】狂うためより丁寧に鍵下ろす 川合大祐
- 2015/02/19
- 21:08
狂うためより丁寧に鍵下ろす 川合大祐
【構造への配慮】
ときどきすこし考えるんですが、〈エロ〉を表現するためには、ほんとうにきちんと構成しないといけないんじゃないかとおもったりするんです。
ただアナーキーにエロを出してもエロにならないんじゃないかと。
エロっていうのは、エロくあろうとすることじゃなくて、どういうふうにそこに構造をもちこむかにあるんじゃないかと。
だから、エロの本質はじつは、非エロなんじゃないかとおもうんですね。
で、川合さんの句ですが、「狂うため」に「より丁寧」な作業をしているわけです。
狂うっていうことが、開放的になったり、無秩序を呼び込んでいくわけではなくて、丁寧に鍵を下ろす作業として昇華されている。
これは、狂いに対するいわば非狂いなわけです。
そして、鍵を下ろすことによって、下ろしてない状態と下ろした状態に差異化するのが構造です。
たとえばかんたんな話、
くるうくるうくるうくるうくるうくるくるくるう
と表現でくるってもいいわけです。
でも、ほんとうの狂うは、そうではない。
それは、エロとおなじように、構造なんです。
どうして、ひとは、エロや狂いを構造としてうけとるんでしょうか。
たぶんそれは、エロや狂いそのものが構造としてあるからです。そもそもが。
その構造のうえでひとはふだんエロや狂いを演じていますが、しかしそれはうわずみであり、そもそもは構造化されている。
その構造に着目したのが、おそらく『性の歴史』や『狂気の歴史』をあらわしたミシェル・フーコーでした。
たとえばミシェル・フーコーだったら次のようなこんな句も、よろこんだかもしれません。
おすもうさん髷にシュシュを巻いてやる 千春
【構造への配慮】
ときどきすこし考えるんですが、〈エロ〉を表現するためには、ほんとうにきちんと構成しないといけないんじゃないかとおもったりするんです。
ただアナーキーにエロを出してもエロにならないんじゃないかと。
エロっていうのは、エロくあろうとすることじゃなくて、どういうふうにそこに構造をもちこむかにあるんじゃないかと。
だから、エロの本質はじつは、非エロなんじゃないかとおもうんですね。
で、川合さんの句ですが、「狂うため」に「より丁寧」な作業をしているわけです。
狂うっていうことが、開放的になったり、無秩序を呼び込んでいくわけではなくて、丁寧に鍵を下ろす作業として昇華されている。
これは、狂いに対するいわば非狂いなわけです。
そして、鍵を下ろすことによって、下ろしてない状態と下ろした状態に差異化するのが構造です。
たとえばかんたんな話、
くるうくるうくるうくるうくるうくるくるくるう
と表現でくるってもいいわけです。
でも、ほんとうの狂うは、そうではない。
それは、エロとおなじように、構造なんです。
どうして、ひとは、エロや狂いを構造としてうけとるんでしょうか。
たぶんそれは、エロや狂いそのものが構造としてあるからです。そもそもが。
その構造のうえでひとはふだんエロや狂いを演じていますが、しかしそれはうわずみであり、そもそもは構造化されている。
その構造に着目したのが、おそらく『性の歴史』や『狂気の歴史』をあらわしたミシェル・フーコーでした。
たとえばミシェル・フーコーだったら次のようなこんな句も、よろこんだかもしれません。
おすもうさん髷にシュシュを巻いてやる 千春
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