【お知らせ】「【ぼんやりを読む】ゾンビ・鴇田智哉・石原ユキオ(または安心毛布をめぐって)」『週刊俳句 第409号』
- 2015/02/22
- 20:32
『週刊俳句 第409号』にて「【ぼんやりを読む】ゾンビ・鴇田智哉・石原ユキオ(または安心毛布をめぐって)」という文章を載せていただきました。『週刊俳句』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
前からずっと石原ユキオさんのゾンビ小説/ゾンビ俳句のことをよく考えていて、なにかのかたちでいつかきちんと考えることができたらいいなあと思っていました。
たとえば、わたしはときどき、ゾンビ的主体が俳句的主体なのではないかとおもうこともあります。
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
たとえばこのあまりにも有名な芭蕉の俳句ですが、ここには心情や内面はありません。
古池があるなあ、かえるとびこんでるなあ、水の音するなあ
これはある意味、あまりに即物的な無機的リアクションの世界です。
でももしかしたらゾンビの世界もこうではないかとおもうのです。
ふふふふるいげががががあるなああああ、ががががががえるとびごんでででででででるなあああ、みみみみずずずずのおどずるなあああああ
こうした内面や心情という構築がはいってこないゾンビの世界。動くものがあればそこに反応し、そこにむらがってゆくゾンビの世界。
鴇田さんの白いテレビの句は以前、イヴェントレポートでもすこし書かせていただいたのですが、これをずっとレイモンド・カーヴァーや蓮實重彦のゴダール論から考えられないかなとずっとおもっていました。
実際去年から「ゴダール『女は女である』を視聴する鴇田智哉(カーヴァーもいるよ!)」というタイトルで記事を少しずつ作成していたのですが、あるときふっと、これはゴダールやカーヴァーじゃなくて、ユキオさんに通底しているんじゃないかと思い、そっち路線にふらふらとゾンビのように移行しました。
そんなわげでででぞんびのがんぞうぶんになりまじだ。
ぶるいげやかはづどびごむみずのおど まづおばじょう
這ふ死体につまづいてゐる死体かな 石原ユキオ
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
前からずっと石原ユキオさんのゾンビ小説/ゾンビ俳句のことをよく考えていて、なにかのかたちでいつかきちんと考えることができたらいいなあと思っていました。
たとえば、わたしはときどき、ゾンビ的主体が俳句的主体なのではないかとおもうこともあります。
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
たとえばこのあまりにも有名な芭蕉の俳句ですが、ここには心情や内面はありません。
古池があるなあ、かえるとびこんでるなあ、水の音するなあ
これはある意味、あまりに即物的な無機的リアクションの世界です。
でももしかしたらゾンビの世界もこうではないかとおもうのです。
ふふふふるいげががががあるなああああ、ががががががえるとびごんでででででででるなあああ、みみみみずずずずのおどずるなあああああ
こうした内面や心情という構築がはいってこないゾンビの世界。動くものがあればそこに反応し、そこにむらがってゆくゾンビの世界。
鴇田さんの白いテレビの句は以前、イヴェントレポートでもすこし書かせていただいたのですが、これをずっとレイモンド・カーヴァーや蓮實重彦のゴダール論から考えられないかなとずっとおもっていました。
実際去年から「ゴダール『女は女である』を視聴する鴇田智哉(カーヴァーもいるよ!)」というタイトルで記事を少しずつ作成していたのですが、あるときふっと、これはゴダールやカーヴァーじゃなくて、ユキオさんに通底しているんじゃないかと思い、そっち路線にふらふらとゾンビのように移行しました。
そんなわげでででぞんびのがんぞうぶんになりまじだ。
ぶるいげやかはづどびごむみずのおど まづおばじょう
這ふ死体につまづいてゐる死体かな 石原ユキオ
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