【川柳】炭酸の…(かばんも五七五大賞・かばん2014年3月号 佳作・飯島章友選)
- 2014/03/31
- 22:48
炭酸の底にうしなう鍵の束 柳本々々
(かばんも五七五大賞・かばん2014年3月号 佳作・飯島章友選)
【自(分で)解(いてみる)-それでもわきあがるちから-】
かばんの編集人をされていた飯島章友さんから選んでいただいた一句。
わたしにとって「かばんも五七五」ははじめて入った川柳の教室のような存在で、毎回飯島さんからいただいたコメントを何度も読み直しては、自分にとって川柳とはなんだろうとかんがえなおしたりもしていた。短歌という形式でなくて、あえて川柳の形式で表現をおこなうときにそこにはどのような必然性があるのか、と。
「炭酸の底にうしなう鍵の束」は、もともと「炭酸水」のふしぎな奥深さにふだんから魅かれていたことがベースになってできた句。
炭酸水の泡が浮上するベクトルを逆行するかたちで重力としての「鍵の束」をおいてみた。
そうした作用・反作用の力学のなか、「うしなう」という〈喪失〉の発現によって、その力学がこわれていってしまうところにこの句の重心があるようにもおもう。
それでも炭酸水なのでぐんぐん浮上するちからは、わいてやまない。泡、泡、泡、泡が、喪失のそこからいっせいにたちのぼっていく。
【今日マチ子と、炭酸水の底-n個の泡のなかで-】
いまにしておもいかえせば、炭酸水のイメージは今日マチ子さんのマンガのイメージがあったのかもしれない。
たとえば、今日マチ子さんの『センネン画報』といういっさいことばのない世界観をかたくなに貫いているマンガではたびたび水底に沈んでいくイメージがでてくる。
ふしぎなことではあるが、今日マチ子マンガでは、沈むことが世界を喪うこと、にはならない。むしろ事態は逆であり、沈むことによってひとはもうひとつの反転された世界を発見するのだ。それはけっして安易な無意識の比喩でもない。そうではなくて、もうひとつのじぶんにまつわるもの以外としての世界がクリエイトされるために水底がでてくる。
だからそういった意味で、今日マチ子マンガの〈底〉とは現在の世界に添加される世界であり、現在の世界と階層関係も位階関係ももたない、きわめて行き来がフリーな、いつでも容易に反転可能な世界としてある。
沈むことは、なにかをうしなうことでも・なにかからうしなわれることでもなくて、もうひとつの(もうn個の)世界を発見するための、意味構築作用としてある。
そこでおこわなれているのは、生の階層を発見することではなく、むしろ生の階層が失効していくことのおだやかな夢とリアルのテロルなのではないかと、おもう。
最後になりますが、飯島章友さん、毎月ていねいに選句・選評してくださり、また佳作に選んでいただきましたこと、ほんとうにありがとうございました。
(今日マチ子『センネン画報』p23・太田出版)
(かばんも五七五大賞・かばん2014年3月号 佳作・飯島章友選)
【自(分で)解(いてみる)-それでもわきあがるちから-】
かばんの編集人をされていた飯島章友さんから選んでいただいた一句。
わたしにとって「かばんも五七五」ははじめて入った川柳の教室のような存在で、毎回飯島さんからいただいたコメントを何度も読み直しては、自分にとって川柳とはなんだろうとかんがえなおしたりもしていた。短歌という形式でなくて、あえて川柳の形式で表現をおこなうときにそこにはどのような必然性があるのか、と。
「炭酸の底にうしなう鍵の束」は、もともと「炭酸水」のふしぎな奥深さにふだんから魅かれていたことがベースになってできた句。
炭酸水の泡が浮上するベクトルを逆行するかたちで重力としての「鍵の束」をおいてみた。
そうした作用・反作用の力学のなか、「うしなう」という〈喪失〉の発現によって、その力学がこわれていってしまうところにこの句の重心があるようにもおもう。
それでも炭酸水なのでぐんぐん浮上するちからは、わいてやまない。泡、泡、泡、泡が、喪失のそこからいっせいにたちのぼっていく。
【今日マチ子と、炭酸水の底-n個の泡のなかで-】
いまにしておもいかえせば、炭酸水のイメージは今日マチ子さんのマンガのイメージがあったのかもしれない。
たとえば、今日マチ子さんの『センネン画報』といういっさいことばのない世界観をかたくなに貫いているマンガではたびたび水底に沈んでいくイメージがでてくる。
ふしぎなことではあるが、今日マチ子マンガでは、沈むことが世界を喪うこと、にはならない。むしろ事態は逆であり、沈むことによってひとはもうひとつの反転された世界を発見するのだ。それはけっして安易な無意識の比喩でもない。そうではなくて、もうひとつのじぶんにまつわるもの以外としての世界がクリエイトされるために水底がでてくる。
だからそういった意味で、今日マチ子マンガの〈底〉とは現在の世界に添加される世界であり、現在の世界と階層関係も位階関係ももたない、きわめて行き来がフリーな、いつでも容易に反転可能な世界としてある。
沈むことは、なにかをうしなうことでも・なにかからうしなわれることでもなくて、もうひとつの(もうn個の)世界を発見するための、意味構築作用としてある。
そこでおこわなれているのは、生の階層を発見することではなく、むしろ生の階層が失効していくことのおだやかな夢とリアルのテロルなのではないかと、おもう。
最後になりますが、飯島章友さん、毎月ていねいに選句・選評してくださり、また佳作に選んでいただきましたこと、ほんとうにありがとうございました。
(今日マチ子『センネン画報』p23・太田出版)
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:詩・ことば
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の川柳