【お知らせ】「のようなもの日和」『川柳スープレックス』
- 2015/02/28
- 00:48
『川柳スープレックス』に「川柳小説」という新しいカテゴリーができ、川合大祐さんが小池孝一さんの句から「たとえ1グラムでも。 川合大祐 」を書かれています。
川合さんはすでに句からフィクションをたちあげる試みの書物をつくられているのですが、ひとつの句に対して評や感想だけでなく、そこから想像でふくらんだフィクションを書いてみるという行為も、ひとつの〈読み〉の行為なんじゃないかなとおもうことがあります。
なぜなら、ひとは、感想を書く場合でも、フィクションをたちあげる場合でも、なんどもその句にたちかえり、疑問があればその句にたずねるからです。
そして、感想においても、フィクションにおいても、たった575の音数の句でさえ、どれだけことばを尽くしても語り尽くすことはできません。
それが、句の強度であり、定型の強度です。
でも、だからこそ、たった一句からさまざまなことばやイメージがたちあがる。
でもそのことによって句はみずからの自律性を矯められることなく、さらなる可能態としてその場にとどまりつづける。
それが、短詩の深度なのではないかとおもいます。
『夢八夜』外伝という風合いで、わたしもひとつ書いてみました。第一夜のマヨネーズの「わたし」にはかつてこんなこともあったんだよ、というかんじで。のようなふうあいで。
「 のようなもの日和 柳本々々」
川合さんはすでに句からフィクションをたちあげる試みの書物をつくられているのですが、ひとつの句に対して評や感想だけでなく、そこから想像でふくらんだフィクションを書いてみるという行為も、ひとつの〈読み〉の行為なんじゃないかなとおもうことがあります。
なぜなら、ひとは、感想を書く場合でも、フィクションをたちあげる場合でも、なんどもその句にたちかえり、疑問があればその句にたずねるからです。
そして、感想においても、フィクションにおいても、たった575の音数の句でさえ、どれだけことばを尽くしても語り尽くすことはできません。
それが、句の強度であり、定型の強度です。
でも、だからこそ、たった一句からさまざまなことばやイメージがたちあがる。
でもそのことによって句はみずからの自律性を矯められることなく、さらなる可能態としてその場にとどまりつづける。
それが、短詩の深度なのではないかとおもいます。
『夢八夜』外伝という風合いで、わたしもひとつ書いてみました。第一夜のマヨネーズの「わたし」にはかつてこんなこともあったんだよ、というかんじで。のようなふうあいで。
「 のようなもの日和 柳本々々」
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