【感想】男子二十名水着の体見つ見られつ 関悦史
- 2015/03/02
- 00:02
男子二十名水着の体見つ見られつ 関悦史
【グラデーションとしての〈愛〉】
さいきんボーイズラブマンガを読んでいて、〈射精〉に支配されることのない〈男性〉の性の描き方について考えてたんです。
一般的に、エロマンガやAVなどは、射精が山場に置かれます。
物語のクライマックスが〈射精〉であり、その〈射精〉のためにシークェンスが準備され、その〈射精〉に向かって物語は加速されていく。
たんねんに細部まで物語が語られるのは、その〈射精〉という一点へと物語を凝縮させていくためです。
そして〈射精〉が終わればいっきに物語は、終わる。
そしてそれが、物語のオルガズム=男性のオルガズムになっていました。
でも、ボーイズラブの性の描き方はそうした〈射精〉というクライマックスから逆構築される物語ではなくて、そうした射精や絶頂の原理に支配されない、グラデーションのような性の世界なんじゃないかとおもうんですよね。
そこではまず〈関係性〉が描かれる。どちらがどういう役割をもつのか、そしてその役割をどのように遂行できるのか、またはそうした役割をそれぞれにもつ人間が、社会とどのように接合していくのか。
そうした、多層的な関係、関係のレイヤーが物語とともに描かれていく。
そうした、どこかに極点がない性の描き方がボーイズラブには描かれているんじゃないかなとおもうんです。
で、関さんの句なのですが、「見つ見られつ」と語られている。
この「見つ見られつ」という視線が無限に循環し、交錯しつづける〈関係〉の原理。
これが、あえていうならば、ボーイズラブ的原理なのかなあともおもいます。
誰かが関係を支配したり、一括して枠組みを決めたりするのではなく、互いにウケ・タチの役割を決めながらも、それをたがいに遂行することで、おたがいに関係をつくっていく。
そうした関係の反転する連鎖が関さんのこの句にもある。
これはボーイズラブ俳句なんだと簡単にカテゴライズはできないですが、そうした関係性の意味においては〈ボーイズラブ〉的一面をこの句もまた含んでいるのかなあとおもったりします。
だから、あくまで〈射精〉ではない。
〈射精〉ではなく、〈勃つ〉〈お前〉と関わり合うことが重要で、だから、
ヤベエ勃(た)つたと屈むお前と春の暮 関悦史
【グラデーションとしての〈愛〉】
さいきんボーイズラブマンガを読んでいて、〈射精〉に支配されることのない〈男性〉の性の描き方について考えてたんです。
一般的に、エロマンガやAVなどは、射精が山場に置かれます。
物語のクライマックスが〈射精〉であり、その〈射精〉のためにシークェンスが準備され、その〈射精〉に向かって物語は加速されていく。
たんねんに細部まで物語が語られるのは、その〈射精〉という一点へと物語を凝縮させていくためです。
そして〈射精〉が終わればいっきに物語は、終わる。
そしてそれが、物語のオルガズム=男性のオルガズムになっていました。
でも、ボーイズラブの性の描き方はそうした〈射精〉というクライマックスから逆構築される物語ではなくて、そうした射精や絶頂の原理に支配されない、グラデーションのような性の世界なんじゃないかとおもうんですよね。
そこではまず〈関係性〉が描かれる。どちらがどういう役割をもつのか、そしてその役割をどのように遂行できるのか、またはそうした役割をそれぞれにもつ人間が、社会とどのように接合していくのか。
そうした、多層的な関係、関係のレイヤーが物語とともに描かれていく。
そうした、どこかに極点がない性の描き方がボーイズラブには描かれているんじゃないかなとおもうんです。
で、関さんの句なのですが、「見つ見られつ」と語られている。
この「見つ見られつ」という視線が無限に循環し、交錯しつづける〈関係〉の原理。
これが、あえていうならば、ボーイズラブ的原理なのかなあともおもいます。
誰かが関係を支配したり、一括して枠組みを決めたりするのではなく、互いにウケ・タチの役割を決めながらも、それをたがいに遂行することで、おたがいに関係をつくっていく。
そうした関係の反転する連鎖が関さんのこの句にもある。
これはボーイズラブ俳句なんだと簡単にカテゴライズはできないですが、そうした関係性の意味においては〈ボーイズラブ〉的一面をこの句もまた含んでいるのかなあとおもったりします。
だから、あくまで〈射精〉ではない。
〈射精〉ではなく、〈勃つ〉〈お前〉と関わり合うことが重要で、だから、
ヤベエ勃(た)つたと屈むお前と春の暮 関悦史
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の俳句感想