【感想】墓場から出で来しゾンビ先生よマジありがとう火葬にします 笹公人
- 2015/03/02
- 05:48
墓場から出で来しゾンビ先生よマジありがとう火葬にします 笹公人
【ありがとうのディスクール】
この短歌ってじつはすごく複雑な構成になっているんじゃないかというおもうんですね。
俺だけのゾンビ先生への〈ありがとう〉をきちんと構造化している。
それがこのゾンビ先生の歌なんじゃないかと。
まず「墓場から出で来しゾンビ先生よ」という上の句があります。
「出で来し」っていうのは文語ですよね。
それから「ゾンビ先生」はたぶん墓場からしかやってこないと誰もがわかっているとおもうんですが、きちんと「墓場から出で来しゾンビ先生よ」と〈出生〉を明記しています。
つまり、語り手は上の句で、「ゾンビ先生」に対して、文語と出生の再記述で礼儀を尽くしているわけです。そういう語り口になっている。
ゾンビ先生は墓場からきていることはみんな知っているけれど、でも文語体でじぶんの口でゾンビ先生の〈出生〉を語りなおしたわけです。それはじぶんたちのゾンビ先生だからです。そこらへんの氏素性もわからぬゾンビといっしょくたにはされたくないわけです。
しかもたぶんゾンビは、文語体ということばのモードチェンジはできないはずですから(「うう」とか「ああ」の口語だけ)、書き言葉=エクリチュールに敏感になることで、語り手はゾンビ先生をほかのゾンビとは違うんだよということで差別化もしているわけです。
下の句の「マジありがとう火葬にします」をみてください。
完璧な口語で、しかも「マジありがとう」と砕けてます。
上の句で「ゾンビ先生」に礼節を尽くした語り手は、下の句であふれる感謝のきもちを〈じぶんなり〉の口語であらわしています。
これは文語ではだめなんです。「ありがたき」は、生徒ととしての感謝のエクリチュールではない。なまのありがとう、にならない。
そもそも「ありがとう」は、エクリチュールのように書式化され、形式化されたものであるはずがない。
いつものじぶんなりの〈生きた〉言葉でなければならないはずです。
だから「マジありがとう」です。
まとめてみるとこの笹さんのゾンビ短歌は、上の句で文語によって他のゾンビと差別化しながらゾンビ先生への〈礼節〉を尽くし、下の句ではくだけた口語によって他のありがとうと差別化しながらじぶんだけの〈感謝〉を尽くす。
そういう〈ありがとうのディスクール〉になっています。
ありがとうのじぶんなりの構造化、です。
それがこのありがとうゾンビ短歌を構造的にだいすきな理由です。
墓場から出で来しゾンビ先生が『ムー』(学研)の取材に応じる夕べ 笹公人
【ありがとうのディスクール】
この短歌ってじつはすごく複雑な構成になっているんじゃないかというおもうんですね。
俺だけのゾンビ先生への〈ありがとう〉をきちんと構造化している。
それがこのゾンビ先生の歌なんじゃないかと。
まず「墓場から出で来しゾンビ先生よ」という上の句があります。
「出で来し」っていうのは文語ですよね。
それから「ゾンビ先生」はたぶん墓場からしかやってこないと誰もがわかっているとおもうんですが、きちんと「墓場から出で来しゾンビ先生よ」と〈出生〉を明記しています。
つまり、語り手は上の句で、「ゾンビ先生」に対して、文語と出生の再記述で礼儀を尽くしているわけです。そういう語り口になっている。
ゾンビ先生は墓場からきていることはみんな知っているけれど、でも文語体でじぶんの口でゾンビ先生の〈出生〉を語りなおしたわけです。それはじぶんたちのゾンビ先生だからです。そこらへんの氏素性もわからぬゾンビといっしょくたにはされたくないわけです。
しかもたぶんゾンビは、文語体ということばのモードチェンジはできないはずですから(「うう」とか「ああ」の口語だけ)、書き言葉=エクリチュールに敏感になることで、語り手はゾンビ先生をほかのゾンビとは違うんだよということで差別化もしているわけです。
下の句の「マジありがとう火葬にします」をみてください。
完璧な口語で、しかも「マジありがとう」と砕けてます。
上の句で「ゾンビ先生」に礼節を尽くした語り手は、下の句であふれる感謝のきもちを〈じぶんなり〉の口語であらわしています。
これは文語ではだめなんです。「ありがたき」は、生徒ととしての感謝のエクリチュールではない。なまのありがとう、にならない。
そもそも「ありがとう」は、エクリチュールのように書式化され、形式化されたものであるはずがない。
いつものじぶんなりの〈生きた〉言葉でなければならないはずです。
だから「マジありがとう」です。
まとめてみるとこの笹さんのゾンビ短歌は、上の句で文語によって他のゾンビと差別化しながらゾンビ先生への〈礼節〉を尽くし、下の句ではくだけた口語によって他のありがとうと差別化しながらじぶんだけの〈感謝〉を尽くす。
そういう〈ありがとうのディスクール〉になっています。
ありがとうのじぶんなりの構造化、です。
それがこのありがとうゾンビ短歌を構造的にだいすきな理由です。
墓場から出で来しゾンビ先生が『ムー』(学研)の取材に応じる夕べ 笹公人
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