【感想】忘却は星いつぱいの料理店 小津夜景
- 2015/03/06
- 00:49
忘却は星いつぱいの料理店 小津夜景
【わすれることは、いきるちからだ。】
勇気のための川柳処方箋・番外編ということで、勇気のための俳句処方箋です。
夜景さんのこの句をぱっと見てひとつたしかなかたちでわかることは、この夜景さんの句は「忘却」=〈忘れること〉を寿いでいるということです。ことほいでる。しかも、「星いつぱい」ですから、うんと、ことほいでる。
しかも、「料理店」ですから、これは、あーおなかすいた!という〈おなかの幸福〉に〈忘れること〉が結びついています。
勇気職人にとっては、これが、大事です。
たとえば、かなしくて仕方ないときがあったりしたとします。
あとからあとから絶望がやってきて、どうしようもない。
なぜあのときああしなかったんだろうと後悔ばかりがおそってくる。
かなしみのふちに沈んだまま、なにもできなくなってしまう。
でも一方で、ずっとかなしがっていられるかっていうと、それもできないことです。
ねむれない、っていうひとでも、ずっとねむらないではいられないように。
極度の不眠症のひとでも、どこかでは必ずねむっています。
つまり、不眠であることを〈忘れ〉て、ねむっている時間がある。
かなしみもそうです。
いくらかなしくても、かなしみつづけていることも、できない。
じぶんがかなしんでることをわすれているしゅんかんが、ふいにくる。
どれだけかなしくても、ふいにサンドイッチをたべたくなったり、なにげなくつけたテレビにすこしわらってしまったりする。
松尾スズキもいってました。「シリアスと滑稽さは、いつも同居している」と。
どこかでどれだけかなしんでいても、ふとしたことでわらってしまうじぶんもいる。
そういうところに希望はあるのかなっておもうんです。
だから、夜景さんの句でも、「忘却」は、「料理店」という〈食のよろこび(サンドイッチ!)〉に、そして「星いつぱい」という〈視覚のよろこび(テレビ!)〉につながっている。
わすれることが、いきるちからになることがある。
今日マチ子さんも、こんなふうにいままでうしなったものをことほいでいました。ほいでる!
いままでについた嘘となくしたもの、すべてのわがままに感謝 今日マチ子「センネン画報」
【わすれることは、いきるちからだ。】
勇気のための川柳処方箋・番外編ということで、勇気のための俳句処方箋です。
夜景さんのこの句をぱっと見てひとつたしかなかたちでわかることは、この夜景さんの句は「忘却」=〈忘れること〉を寿いでいるということです。ことほいでる。しかも、「星いつぱい」ですから、うんと、ことほいでる。
しかも、「料理店」ですから、これは、あーおなかすいた!という〈おなかの幸福〉に〈忘れること〉が結びついています。
勇気職人にとっては、これが、大事です。
たとえば、かなしくて仕方ないときがあったりしたとします。
あとからあとから絶望がやってきて、どうしようもない。
なぜあのときああしなかったんだろうと後悔ばかりがおそってくる。
かなしみのふちに沈んだまま、なにもできなくなってしまう。
でも一方で、ずっとかなしがっていられるかっていうと、それもできないことです。
ねむれない、っていうひとでも、ずっとねむらないではいられないように。
極度の不眠症のひとでも、どこかでは必ずねむっています。
つまり、不眠であることを〈忘れ〉て、ねむっている時間がある。
かなしみもそうです。
いくらかなしくても、かなしみつづけていることも、できない。
じぶんがかなしんでることをわすれているしゅんかんが、ふいにくる。
どれだけかなしくても、ふいにサンドイッチをたべたくなったり、なにげなくつけたテレビにすこしわらってしまったりする。
松尾スズキもいってました。「シリアスと滑稽さは、いつも同居している」と。
どこかでどれだけかなしんでいても、ふとしたことでわらってしまうじぶんもいる。
そういうところに希望はあるのかなっておもうんです。
だから、夜景さんの句でも、「忘却」は、「料理店」という〈食のよろこび(サンドイッチ!)〉に、そして「星いつぱい」という〈視覚のよろこび(テレビ!)〉につながっている。
わすれることが、いきるちからになることがある。
今日マチ子さんも、こんなふうにいままでうしなったものをことほいでいました。ほいでる!
いままでについた嘘となくしたもの、すべてのわがままに感謝 今日マチ子「センネン画報」
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