【感想】メディアとしての『週刊俳句』~つづけることは、やめないこと~
- 2015/03/06
- 07:03
堀下翔さんから「 「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その5/筑紫磐井・堀下翔 」にて言及していただきました。
堀下さん、ありがとうございました!
ときどき『週刊俳句』のメディア性ということについて考えていて、以前、西原天気さんが『週刊俳句』の運営にあたっての「14のノー」をご自身のブログ記事であげておられて、とても興味深く読んだので、ちょっと引用してみます。
「01 NO目的 02 NO費用 ≫NO財政 03 NO手間 04 NO目標 NOヴィジョン 05 NO理念 06 NO党派 07 NO求心力 08 NO寄稿拒否 09 NO編集 10 NO打ち合わせ・会議 11 NO休刊 12 NO危機 13 NO刷新 14 NOインターネット」と14のNO……
……上に挙げたことが、週刊俳句の運営には、なぜか無い。いや、「なぜか」というか、意識的に無くしたものもあるし、ナリユキの部分もある。ともかく、そんなこんなで週俳が続いている……
西原天気『俳句的日常』
『週刊俳句』の 創刊号は、2007年4月29日ですから、もう8年は週刊で続いてるわけです(ちなみに創刊準備号もあります)。
メディアのメディア性について考えるときに、もちろんひとつはコンテンツがそのメディアを決定していくことだとおもうのですが、それ以上に見落としがちだけれど大事なことが、〈つづいている〉ことなのではないかとおもうのです。
メディアがメディアとして〈つづいていく〉ときにそのメディアがことばではあらわしがたいふしぎなアウラ=オーラをまとうことが、ある(たとえば『サザエさん』を思い浮かべてみてください。あれはコンテンツではありません。もはや、国民の日曜日を伝えるためのメディアです)。
脱魔術化された合理的な世界に暮らしているようでも、そうしたメディアの魔術化された部分はまだちゃんと機能しているようにおもうんですね。
ネット社会において8年つづくということはどういうことかというと、コンテンツがその〈つづく〉ことと共鳴しあうようになるということです。
どういうことか。
たとえば、私が『週刊俳句』を知らなかったころ、興味があった俳句を検索をしてると、よく『週刊俳句』の記事にゆきあたったんです。
なんだろう、とおもいます。でもだんだんとこれは週刊で出してる俳句のウェブマガジンでけっこう長くつづいているらしい、ということがわかってきます。
そのとき、俳句についてはよくわからなくても、なにかがずっとこの場所で行われ、続けられていたんだということはわかります。
そのとき、〈つづいてゆく〉ことの神秘性につきあたるようにおもうんです。ちょっと、おののいて。
これは堀下さんが引用してくださった箇所がそうなのですが、『週刊俳句』が8年続いていた間、じゃあ自分はどうなのかって振り返るわけです。なにをつづけてこられたのか、つづけてこられなかったのか、それはどのような単位でできたのか、できなかったのか。
『月刊俳句』なら、まだ、だいじょうぶなわけです。胸をなでおろせます。
でも、「週刊」になると、そうもいかない。
あははあははとわらってくらしてると二週間なんてすぐにたってしまいます。ドラゴンボールでフリーザが三回目の変身するかなあとおもっているともう『週俳』は更新されているわけです。
そのような単位のなかで8年つづいてきているということ。
これは、けっこうおそろしいことです。おののくことです。
そのとき、おもったのが、〈つづけるということ〉は、ただそれだけで、〈思想性〉があるということです。
〈つづいてきた〉という事態に対して、ひとはなにかしら自分のなかで考えを抱く。
どういうことなんだろう、じぶんはなんなんだろう、と。
思想性とは、それと向き合ったときにみずからの履歴を再度検証しなおすことをさせるようななにかです。
〈つづけること〉はそれだけで〈思想的〉だということ。
そしてその〈つづけること〉のなかで、多くのコンテンツが生まれていったということ。
そんなことを、『週刊俳句』の終わらないバックナンバーを読みながら、ときどき、かんがえたりしています。
ねむるまえにも、ああきょうもまたあんまりすすまなかったなともおもいながら、おふとんに入ることもあります。
電車の中であまりに集中して読んでしまい、降りるべき駅に降りられないときもあります。
わたしは、わたしが降りるべき駅が、過ぎ去り、流れてゆく車窓をみながら、『週刊俳句』にもういちど、たちかえります。これからどこにゆくのかわからない自分の哀しみを抱いて、しかしそれでもまだ読み進められることをどこかで安心して、また『週刊俳句』を読みはじめるのです。
このなかに絶版多し雲の峰 堀下翔
堀下さん、ありがとうございました!
ときどき『週刊俳句』のメディア性ということについて考えていて、以前、西原天気さんが『週刊俳句』の運営にあたっての「14のノー」をご自身のブログ記事であげておられて、とても興味深く読んだので、ちょっと引用してみます。
「01 NO目的 02 NO費用 ≫NO財政 03 NO手間 04 NO目標 NOヴィジョン 05 NO理念 06 NO党派 07 NO求心力 08 NO寄稿拒否 09 NO編集 10 NO打ち合わせ・会議 11 NO休刊 12 NO危機 13 NO刷新 14 NOインターネット」と14のNO……
……上に挙げたことが、週刊俳句の運営には、なぜか無い。いや、「なぜか」というか、意識的に無くしたものもあるし、ナリユキの部分もある。ともかく、そんなこんなで週俳が続いている……
西原天気『俳句的日常』
『週刊俳句』の 創刊号は、2007年4月29日ですから、もう8年は週刊で続いてるわけです(ちなみに創刊準備号もあります)。
メディアのメディア性について考えるときに、もちろんひとつはコンテンツがそのメディアを決定していくことだとおもうのですが、それ以上に見落としがちだけれど大事なことが、〈つづいている〉ことなのではないかとおもうのです。
メディアがメディアとして〈つづいていく〉ときにそのメディアがことばではあらわしがたいふしぎなアウラ=オーラをまとうことが、ある(たとえば『サザエさん』を思い浮かべてみてください。あれはコンテンツではありません。もはや、国民の日曜日を伝えるためのメディアです)。
脱魔術化された合理的な世界に暮らしているようでも、そうしたメディアの魔術化された部分はまだちゃんと機能しているようにおもうんですね。
ネット社会において8年つづくということはどういうことかというと、コンテンツがその〈つづく〉ことと共鳴しあうようになるということです。
どういうことか。
たとえば、私が『週刊俳句』を知らなかったころ、興味があった俳句を検索をしてると、よく『週刊俳句』の記事にゆきあたったんです。
なんだろう、とおもいます。でもだんだんとこれは週刊で出してる俳句のウェブマガジンでけっこう長くつづいているらしい、ということがわかってきます。
そのとき、俳句についてはよくわからなくても、なにかがずっとこの場所で行われ、続けられていたんだということはわかります。
そのとき、〈つづいてゆく〉ことの神秘性につきあたるようにおもうんです。ちょっと、おののいて。
これは堀下さんが引用してくださった箇所がそうなのですが、『週刊俳句』が8年続いていた間、じゃあ自分はどうなのかって振り返るわけです。なにをつづけてこられたのか、つづけてこられなかったのか、それはどのような単位でできたのか、できなかったのか。
『月刊俳句』なら、まだ、だいじょうぶなわけです。胸をなでおろせます。
でも、「週刊」になると、そうもいかない。
あははあははとわらってくらしてると二週間なんてすぐにたってしまいます。ドラゴンボールでフリーザが三回目の変身するかなあとおもっているともう『週俳』は更新されているわけです。
そのような単位のなかで8年つづいてきているということ。
これは、けっこうおそろしいことです。おののくことです。
そのとき、おもったのが、〈つづけるということ〉は、ただそれだけで、〈思想性〉があるということです。
〈つづいてきた〉という事態に対して、ひとはなにかしら自分のなかで考えを抱く。
どういうことなんだろう、じぶんはなんなんだろう、と。
思想性とは、それと向き合ったときにみずからの履歴を再度検証しなおすことをさせるようななにかです。
〈つづけること〉はそれだけで〈思想的〉だということ。
そしてその〈つづけること〉のなかで、多くのコンテンツが生まれていったということ。
そんなことを、『週刊俳句』の終わらないバックナンバーを読みながら、ときどき、かんがえたりしています。
ねむるまえにも、ああきょうもまたあんまりすすまなかったなともおもいながら、おふとんに入ることもあります。
電車の中であまりに集中して読んでしまい、降りるべき駅に降りられないときもあります。
わたしは、わたしが降りるべき駅が、過ぎ去り、流れてゆく車窓をみながら、『週刊俳句』にもういちど、たちかえります。これからどこにゆくのかわからない自分の哀しみを抱いて、しかしそれでもまだ読み進められることをどこかで安心して、また『週刊俳句』を読みはじめるのです。
このなかに絶版多し雲の峰 堀下翔
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