【感想】法橋ひらく『新鋭短歌シリーズ21 それはとても速くて永い』-〈それ〉をめぐる〈えいえん〉-
- 2015/03/15
- 05:21
M 2015年3月20日に新鋭短歌シリーズから法橋ひらくさんの歌集が出版されました。
Y 『それはとても速くて永い』っていうタイトルなんですね。ちょっと翻訳体みたいなふしぎな手触りのことばですね。
M ええ、そうなんです。このタイトルは法橋さんのこの歌集のモチーフとしてけっこう大事なのではないかと思います。このタイトルの感じって、ちょっとあの書物のタイトルの感じに似ていませんか。
Y 長嶋有さんの『猛スピードで母は』ですか?
M いえ、違います。岡崎京子さんの短篇集『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』です。『それはとても速くて永い』っていうことは、〈速い〉んだけど〈永い〉っていうふしぎな逆説が託しこまれています。たとえば岡崎さんのタイトルにしても〈すべて忘れてしまう〉という断定的な言い方と〈なんだか〉という曖昧性が対立しあっています。タイトルにすでに葛藤がみられるようにおもうんですね。岡崎さんの〈忘れてしまう〉にならっていえば、法橋さんの歌集の一首目はこんな歌ではじまっています。「どれだけ覚えておけるんやろう真夜中の砂丘を駆けて花火を上げた」
Y なるほど。「どれだけ覚えておけるんやろう」に忘れることの〈速さ〉と〈永さ〉の葛藤が。さらに結句の「花火」にも打ちあがって消えるからこその焼き付く花火のイメージとしての〈速さ〉と〈永さ〉の葛藤があるようにおもいます。
M そうですよね。「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」かもしれないのだけれど、でも、この「どれだけ覚えておけるんやろう」というのは、短歌という定型の形式を通して、そのつど一回的に〈速く〉処理されながらも、定型なので〈永く〉記憶されることになる。そうすると、このタイトルの『それはとても速くて永い』とうのはひとつの短歌論にさえなっている気もします。ところで日常的にわたしたちが使っていることばで〈速くて永い〉ことばがあるんですがなにかわかりますか。「あ」ではじまることばです。
Y あらら、ですか?
M あいさつ、です。挨拶も短い速度のあることばですが、でも同時にともに生活するひとと日常を永続させていくことの〈永さ〉も秘めている。ひらくさんの歌集にもこんな歌があります。「おやすみ こんなん奇麗事やけどみんな幸せやったらええな」。ここではわたしは「奇麗事」が〈速さ〉に、「みんな幸せやったらええな」が〈永さ〉に対応しているとおもうんですよね。「おやすみ」という短く速度のあることばですが、そこには語り手が「みんな」の「幸せ」を祈念する永さがある。
Y この歌集はひとつの〈時間への気遣い〉に満たされている歌集なのかもしれないですね。そんな気がしてきました。
M この歌集が最後にたどりついた歌はこんな歌でした。「黄金の羊を抱いて会いにゆくそれからのことは考えてない」。「それからのことは考えてない」と《あえて》未来を語り落とすことによって、逆に〈このわたし〉の〈永さ〉を手にいれようとする。タイトルには『それはとても速くて永い』という〈それ〉という非人称が使われていましたが、たぶんこの歌集は〈それ〉と〈それまで〉と〈それから〉という時間と空間をめぐる大きな物語だったのかもしれないともおもうんです。でもそのなかで〈このわたし〉はなにを決意するのか。〈だれに〉「会いにゆく」のかという人称的問題ではなくて、「それからのことは考えてない」という非人称的問題に語り手がどう向き合うかという問題。だから非人称たちがおびただしくも風に舞うなかを語り手はこんなふうに短歌にしています。読んでもらえますか。
Y はい。「風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか」
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