【感想】こでまりをゆさゆさ咲かす部屋だからソファにスカートあふれさせておく 江戸雪
- 2015/03/18
- 06:00
こでまりをゆさゆさ咲かす部屋だからソファにスカートあふれさせておく 江戸雪
M 江戸雪さんの歌集『百合オイル』からの一首です。
Y こでまりっていうのは花なんですか。
M こでまりっていうのは、小さい手鞠(てまり)のような形状に咲く花だからこでまりという名前がついたみたいです。枝垂れるように咲く花なんです。
Y それで「ゆさゆさ」なんですね。でも「ゆさゆさ」する花ってどこかこわい感じもしますよね。なんでだろう。
M たぶん〈花〉の概念をそれとなく相対化してるからだとおもうんですよね。花ってどこかで可憐という、ぽっと咲いたり、ぱっと咲いたり、はかなく咲いたりというゼロ質量イメージがあるようにおもうんですよね。世間で流通しているイメージとして。たとえばデートのときに、いやあ花がきれいだ、ゆさゆさ咲いてるなあとはあんまり言わないですよね。たぶんイメージが崩れるからだとおもうんですけど。
Y たしかに、ゆさゆさって質量を感じさせますよね。なんていうかな、ゆさゆさってね、身体ですよね、むしろ。花じゃなくて。よく総武線で両国に向かうお相撲さんがゆさゆさしてるのをみるけど、ゆさゆさってからだにつかったりしますよね。
M そこなんじゃないかと思います。まずひとつのこの歌のポイントが。花に固定されているイメージをくつがえしつつも、その花を身体イメージへと移行していく。花と身体っていうのはけっこう関わりが深くて、たとえば漱石の『それから』では代助が百合の花に顔をうずめるシーンがあるんですが、それは代助が心臓の弱い三千代とセックスできないかわりに行っているセックスの代替シーンだという指摘もあるくらいです。
Y なるほど、さいしょこの歌を読んだときに何かそわそわどきどきしたかんじがあったんですがそれもあったんでしょうか。図書館で読んでたのでこころがゆさゆさしておもわず胸をおさえました。
M 下の句の「ソファにスカートあふれさせておく」。この「させておく」にちょっと注目したいんですよね。上の句にも「咲かす」ってありましたよね。どうもこの「部屋」は〈使役〉にあふれた部屋なんじゃないかとおもうんですよね。〈おもうがまま〉にさせておく部屋といったらいいんでしょうか。花やスカートにさせたいがままにさせておく部屋といったらいいんでしょうか。
Y なにかわたしこの歌を読んだとき自分の無抵抗感や無力感、圧倒されるかんじもあったんだけれど、あのときわたしは図書館の地下でこの〈使役〉に負けて膝からくずれおちていたのか。
M たぶんそうなんじゃないかとおもうんですよね。これだから〈圧倒的使役〉の歌、〈なすがままに満ちあふれた〉歌なんじゃないかとおもうんです。「ソファ」っていうのもポイントで、〈座る主体〉ですね。〈座る〉というのは、不動の主体です。花も不動の主体ですよね。どちらも、歩いたり、そのまま、移動したりしない。でも、それなのに、〈なすがまま〉に咲いたりあふれたりすることによって〈能動的〉な主体になっている。それもこの歌のパワーになっているんじゃないかとおもいます。
Y 静かなのに、圧倒的なんですね。動かないのに、動いてる。あのよく、マンガで、うしろに入る擬音「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」みたいなかんじですか(まあつまりジョジョ)
M そうですね、そんなかんじかもしれません(まあそれはつまりジョジョだよね)
Y スカートっていうのは女性性でしょうか?
M でもさいきんは男性もスカートをはく場合があるし、男性がはくといっても、ジェンダーアイデンティティが〈男性〉でファッションとしてスカートをはく場合もあるし、性自認が〈女性〉でスカートをはく場合もありますよね。だから、「スカート」ってさまざまな性が交錯する現場そのものととらえてもいいんじゃないかとおもうんですよね。こでまりが花のイメージをくつがえしていくように、スカートもジェンダーイメージをくつがえすものとしてあってもいいんじゃないかと。
Y なるほどね。たしかに男のひとでもユニクロの女性用ワンピースパジャマがかぶるだけだし風通しもスースーしてすごくラクっていうひといますもんね。
M いやそういうことじゃないけど。
M 江戸雪さんの歌集『百合オイル』からの一首です。
Y こでまりっていうのは花なんですか。
M こでまりっていうのは、小さい手鞠(てまり)のような形状に咲く花だからこでまりという名前がついたみたいです。枝垂れるように咲く花なんです。
Y それで「ゆさゆさ」なんですね。でも「ゆさゆさ」する花ってどこかこわい感じもしますよね。なんでだろう。
M たぶん〈花〉の概念をそれとなく相対化してるからだとおもうんですよね。花ってどこかで可憐という、ぽっと咲いたり、ぱっと咲いたり、はかなく咲いたりというゼロ質量イメージがあるようにおもうんですよね。世間で流通しているイメージとして。たとえばデートのときに、いやあ花がきれいだ、ゆさゆさ咲いてるなあとはあんまり言わないですよね。たぶんイメージが崩れるからだとおもうんですけど。
Y たしかに、ゆさゆさって質量を感じさせますよね。なんていうかな、ゆさゆさってね、身体ですよね、むしろ。花じゃなくて。よく総武線で両国に向かうお相撲さんがゆさゆさしてるのをみるけど、ゆさゆさってからだにつかったりしますよね。
M そこなんじゃないかと思います。まずひとつのこの歌のポイントが。花に固定されているイメージをくつがえしつつも、その花を身体イメージへと移行していく。花と身体っていうのはけっこう関わりが深くて、たとえば漱石の『それから』では代助が百合の花に顔をうずめるシーンがあるんですが、それは代助が心臓の弱い三千代とセックスできないかわりに行っているセックスの代替シーンだという指摘もあるくらいです。
Y なるほど、さいしょこの歌を読んだときに何かそわそわどきどきしたかんじがあったんですがそれもあったんでしょうか。図書館で読んでたのでこころがゆさゆさしておもわず胸をおさえました。
M 下の句の「ソファにスカートあふれさせておく」。この「させておく」にちょっと注目したいんですよね。上の句にも「咲かす」ってありましたよね。どうもこの「部屋」は〈使役〉にあふれた部屋なんじゃないかとおもうんですよね。〈おもうがまま〉にさせておく部屋といったらいいんでしょうか。花やスカートにさせたいがままにさせておく部屋といったらいいんでしょうか。
Y なにかわたしこの歌を読んだとき自分の無抵抗感や無力感、圧倒されるかんじもあったんだけれど、あのときわたしは図書館の地下でこの〈使役〉に負けて膝からくずれおちていたのか。
M たぶんそうなんじゃないかとおもうんですよね。これだから〈圧倒的使役〉の歌、〈なすがままに満ちあふれた〉歌なんじゃないかとおもうんです。「ソファ」っていうのもポイントで、〈座る主体〉ですね。〈座る〉というのは、不動の主体です。花も不動の主体ですよね。どちらも、歩いたり、そのまま、移動したりしない。でも、それなのに、〈なすがまま〉に咲いたりあふれたりすることによって〈能動的〉な主体になっている。それもこの歌のパワーになっているんじゃないかとおもいます。
Y 静かなのに、圧倒的なんですね。動かないのに、動いてる。あのよく、マンガで、うしろに入る擬音「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」みたいなかんじですか(まあつまりジョジョ)
M そうですね、そんなかんじかもしれません(まあそれはつまりジョジョだよね)
Y スカートっていうのは女性性でしょうか?
M でもさいきんは男性もスカートをはく場合があるし、男性がはくといっても、ジェンダーアイデンティティが〈男性〉でファッションとしてスカートをはく場合もあるし、性自認が〈女性〉でスカートをはく場合もありますよね。だから、「スカート」ってさまざまな性が交錯する現場そのものととらえてもいいんじゃないかとおもうんですよね。こでまりが花のイメージをくつがえしていくように、スカートもジェンダーイメージをくつがえすものとしてあってもいいんじゃないかと。
Y なるほどね。たしかに男のひとでもユニクロの女性用ワンピースパジャマがかぶるだけだし風通しもスースーしてすごくラクっていうひといますもんね。
M いやそういうことじゃないけど。
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