【お知らせ】「第七夜 柳本々々のうとうとラジオショー~春眠暁を覚えずなのだから今夜も眠らせナイト春の西瓜糖歌謡スペシャル~」『アパートメント』
- 2015/03/19
- 23:57
WEBマガジン『アパートメント』にて連載『夢八夜』第七回目の「第七夜 柳本々々のうとうとラジオショー~春眠暁を覚えずなのだから今夜も眠らせナイト春の西瓜糖歌謡スペシャル~」という掌編を載せていただきました。
もしお時間のありますときにお読みいただけましたら、さいわいです。
今回の第七夜は小津夜景さんをゲストにお迎えしての夢です。
最初は太宰治の「フォスフォレッスセンス」のような感じで夢の草原のようなところで夢見心地でしっとり会話するような風合いだったんですが、小津さん自身が俳句形式に対していろいろな形式からの取り組み方をされている方なので(小津さんはあとがきも俳句で書かれたりする)、もっと形式をじぶんも壊すべきじゃないかなと思い、太宰治形式ではなく、松尾スズキさん形式でやってみようと思い、小津夜景さんを松尾スズキさん形式で、夢にしてみました。
ですから今回の裏テーマは、小津夜景×松尾スズキです。
小津さんの俳句を読んでいつも思っていることなんですが小津さんの俳句のひとつのテーマに、〈語り落とされたひと/場所への思慕〉というのがあるようにおもうんですね(ちなみに今回の「第七夜」本篇、タイトル頭にいつも付けてある「夢八夜」というタイトルを付け忘れてしまったんですが、わたしも語り落とす話をしているうちに、語り落としてしまったということだとおもうのです、うとうとうっかりでなく)。
語ることは、いつも同時に、語り落とすことです。
けれども、その語り落としたひとや場所にたいして、なんとかどうにかこうにか語ろうと試みることはできる。
もちろん、語りではそこには届かないわけです。それは、語りだから。語りが、語り落ちた場所に届くことはできない。
でもそれでも、語ろうとしつつ挫折することによってしか、そのような〈志向〉によってしか、届きえない場所もあるんじゃないかともおもうんです。語り落とした場所には。
それは逆説を生き抜く、いや耐え抜くということにもなるんだけれど、でもそれが語りという形式そのものがもっている宿命でもあるんじゃないかと。
それはたぶん〈忘れられた場所やひと〉を描きつづけたブローティガンも意識していたことだったのではないかとおもいます。
(呼んだ?)
そういえば、ブローティガンは〈黄色いライオン〉と訳者の藤本和子さんから呼ばれていました。
ライオン。
三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ 荻原裕幸
次回は最終夜なのですが、この『夢八夜』というのは荻原裕幸さんから始まっています。荻原さんといえば、三越のライオンの有名な歌がありますが、ライオンで始まったので、ライオンで終わろうとおもっています。
こないだ三越のライオンに立って、荻原さんの歌のように触ってみたりしつつ、荻原さんの歌のなかでひとびとが触っていたのは、ねむるライオンの夢、手に入れられないものへの夢、自分がここにいつづけられないことへの夢、じぶんが永遠にはいきられないことへの夢だったんじゃないかともふとおもったのです。
わたしたちは失う存在なんだと。
でもその失うことに対してひとつの答えを短詩からだされた方がいて、その方から最終夜は夢を展開してみたいとおもっています。
次回、「最終夜 こんな夢を見た!(或いは遙かなるおふとんジャーニー)」。さいしゅうかいです。
もしお時間のありますときにお読みいただけましたら、さいわいです。
今回の第七夜は小津夜景さんをゲストにお迎えしての夢です。
最初は太宰治の「フォスフォレッスセンス」のような感じで夢の草原のようなところで夢見心地でしっとり会話するような風合いだったんですが、小津さん自身が俳句形式に対していろいろな形式からの取り組み方をされている方なので(小津さんはあとがきも俳句で書かれたりする)、もっと形式をじぶんも壊すべきじゃないかなと思い、太宰治形式ではなく、松尾スズキさん形式でやってみようと思い、小津夜景さんを松尾スズキさん形式で、夢にしてみました。
ですから今回の裏テーマは、小津夜景×松尾スズキです。
小津さんの俳句を読んでいつも思っていることなんですが小津さんの俳句のひとつのテーマに、〈語り落とされたひと/場所への思慕〉というのがあるようにおもうんですね(ちなみに今回の「第七夜」本篇、タイトル頭にいつも付けてある「夢八夜」というタイトルを付け忘れてしまったんですが、わたしも語り落とす話をしているうちに、語り落としてしまったということだとおもうのです、うとうとうっかりでなく)。
語ることは、いつも同時に、語り落とすことです。
けれども、その語り落としたひとや場所にたいして、なんとかどうにかこうにか語ろうと試みることはできる。
もちろん、語りではそこには届かないわけです。それは、語りだから。語りが、語り落ちた場所に届くことはできない。
でもそれでも、語ろうとしつつ挫折することによってしか、そのような〈志向〉によってしか、届きえない場所もあるんじゃないかともおもうんです。語り落とした場所には。
それは逆説を生き抜く、いや耐え抜くということにもなるんだけれど、でもそれが語りという形式そのものがもっている宿命でもあるんじゃないかと。
それはたぶん〈忘れられた場所やひと〉を描きつづけたブローティガンも意識していたことだったのではないかとおもいます。
(呼んだ?)
そういえば、ブローティガンは〈黄色いライオン〉と訳者の藤本和子さんから呼ばれていました。
ライオン。
三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ 荻原裕幸
次回は最終夜なのですが、この『夢八夜』というのは荻原裕幸さんから始まっています。荻原さんといえば、三越のライオンの有名な歌がありますが、ライオンで始まったので、ライオンで終わろうとおもっています。
こないだ三越のライオンに立って、荻原さんの歌のように触ってみたりしつつ、荻原さんの歌のなかでひとびとが触っていたのは、ねむるライオンの夢、手に入れられないものへの夢、自分がここにいつづけられないことへの夢、じぶんが永遠にはいきられないことへの夢だったんじゃないかともふとおもったのです。
わたしたちは失う存在なんだと。
でもその失うことに対してひとつの答えを短詩からだされた方がいて、その方から最終夜は夢を展開してみたいとおもっています。
次回、「最終夜 こんな夢を見た!(或いは遙かなるおふとんジャーニー)」。さいしゅうかいです。
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