【感想】おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
- 2015/03/20
- 13:00
おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
*
M 卒業式のシーズンですよね。卒業式といえば、Yさんはどんな卒業式でしたか?
Y わたしはなぜかみんなとちがって保護者席にいました……。
M うーんと、あんまり突っ込んでその話きかないほうがいいかもしれませんね。
Y なんでだろう。保護者席のスクリーンでみんなの卒業式みてたんです。なぜだろう。なぜなんだろう。
M はい、はい、わかりました、だいじょうぶです。さて。てふこさんの句です。おっぱいが300並ぶ風景。こわくないですかこれは。
Y ええ。こんなにおっぱいがあるとうれしいのか、こわいのかちょっとよくわからないです。
M あの、まず、おっぱいが300ってことは、150人いるってことだとおもうんですが(副乳のひと、いわゆる第三の乳のひとはいないと仮定して)、この語り手はまず出席者の数150人って確認/確信してるじゃないですか。それがなんだかまずふしぎですよね。
Y なにか村上春樹の小説を思い出します。村上春樹の登場人物も数字フェチなんですよね。彼らは〈数える〉行為にたびたび執着していますが(セックスの数、電話のダイヤル音の数)、この句からもそれを感じます。これ、意外に村上春樹的な句なんじゃないでしょうか。
M その人数をわざわざおっぱいに換算してるところにもふしぎなおもしろさを感じますよね。この語り手はどうしちゃったんでしょうか。
Y うーん。なぜか神秘的でもあるんですよね。この数字が。だって、おっぱいってつねに偶数でしょ。偶数の嵐みたいなものですよね。数式にすると、おっぱいの数式は、n×2しかないわけで、そうかんがえるとなにか神秘的なかんじがしますよね。これってもしかして、いっけん、おびただしいおっぱいだから情念の句かとおもいきや、その反対のむちゃくちゃドライな句なんじゃないですかね。冷え冷えの。
M 数字とおっぱいが拮抗してるところにたしかにひとつのおもしろさがあるようにもおもいます。ただもうひとつ注目したいのですが、「卒業式」です。卒業式なんですよ。卒業式のおっぱいなんです。つまりこれ、もう最後のおっぱいなんですよ。もうこれっきりなんですよ。このおっぱいたちは散り散りばらばらになるわけですから。たぶん絶対もうこの300が集うことはないんですよ。その意味でもこの300って一回性の、繰り返すことのできない300なんですよね。魔術的なというか、数字なのに再生産できないという。
Y あ、そうかあ。数字でドライかとおもいきや、こんどは卒業式で情念がでるんだ。ああそうなのかあ、この句のおもしろさって、一般的な定理とちがって、おっぱいが数字としてドライに還元されつつも、それが卒業式という〈場〉によってもういちどひっくりかえされるみたいなところにあるんですね。
M うーん、そうおもうんですよね。この〈並び〉はさいごの一回なんですよ。
Y なるほどなあ。やっぱりわたしも話すことにしましょう。あれはまず卒業式に遅刻したことがわたしの悪夢のいちにちのはじまりでした……。
M いや、あのだいじょぶです、だいじょぶですので、終わりにしましょう。おわりましょう。お願いします。
Y あ、なにをするんだ? うわ!
(Y、黒服の男たちに取り押さえられ、引きずられながら退場する)
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M 卒業式のシーズンですよね。卒業式といえば、Yさんはどんな卒業式でしたか?
Y わたしはなぜかみんなとちがって保護者席にいました……。
M うーんと、あんまり突っ込んでその話きかないほうがいいかもしれませんね。
Y なんでだろう。保護者席のスクリーンでみんなの卒業式みてたんです。なぜだろう。なぜなんだろう。
M はい、はい、わかりました、だいじょうぶです。さて。てふこさんの句です。おっぱいが300並ぶ風景。こわくないですかこれは。
Y ええ。こんなにおっぱいがあるとうれしいのか、こわいのかちょっとよくわからないです。
M あの、まず、おっぱいが300ってことは、150人いるってことだとおもうんですが(副乳のひと、いわゆる第三の乳のひとはいないと仮定して)、この語り手はまず出席者の数150人って確認/確信してるじゃないですか。それがなんだかまずふしぎですよね。
Y なにか村上春樹の小説を思い出します。村上春樹の登場人物も数字フェチなんですよね。彼らは〈数える〉行為にたびたび執着していますが(セックスの数、電話のダイヤル音の数)、この句からもそれを感じます。これ、意外に村上春樹的な句なんじゃないでしょうか。
M その人数をわざわざおっぱいに換算してるところにもふしぎなおもしろさを感じますよね。この語り手はどうしちゃったんでしょうか。
Y うーん。なぜか神秘的でもあるんですよね。この数字が。だって、おっぱいってつねに偶数でしょ。偶数の嵐みたいなものですよね。数式にすると、おっぱいの数式は、n×2しかないわけで、そうかんがえるとなにか神秘的なかんじがしますよね。これってもしかして、いっけん、おびただしいおっぱいだから情念の句かとおもいきや、その反対のむちゃくちゃドライな句なんじゃないですかね。冷え冷えの。
M 数字とおっぱいが拮抗してるところにたしかにひとつのおもしろさがあるようにもおもいます。ただもうひとつ注目したいのですが、「卒業式」です。卒業式なんですよ。卒業式のおっぱいなんです。つまりこれ、もう最後のおっぱいなんですよ。もうこれっきりなんですよ。このおっぱいたちは散り散りばらばらになるわけですから。たぶん絶対もうこの300が集うことはないんですよ。その意味でもこの300って一回性の、繰り返すことのできない300なんですよね。魔術的なというか、数字なのに再生産できないという。
Y あ、そうかあ。数字でドライかとおもいきや、こんどは卒業式で情念がでるんだ。ああそうなのかあ、この句のおもしろさって、一般的な定理とちがって、おっぱいが数字としてドライに還元されつつも、それが卒業式という〈場〉によってもういちどひっくりかえされるみたいなところにあるんですね。
M うーん、そうおもうんですよね。この〈並び〉はさいごの一回なんですよ。
Y なるほどなあ。やっぱりわたしも話すことにしましょう。あれはまず卒業式に遅刻したことがわたしの悪夢のいちにちのはじまりでした……。
M いや、あのだいじょぶです、だいじょぶですので、終わりにしましょう。おわりましょう。お願いします。
Y あ、なにをするんだ? うわ!
(Y、黒服の男たちに取り押さえられ、引きずられながら退場する)
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