【感想】三越のライオン撫でて春の風 今野浮儚
- 2015/03/23
- 08:00
三越のライオン撫でて春の風 今野浮儚
【オズの国のライオン、挨拶の国のさよなライオン、三越の国のライオン】
すこしこないだも言及したんですが、新潟にいったときに三越のライオンの前に立って荻原さんの有名なライオンの歌について腕組みしながらかんがえていたんです。
三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ 荻原裕幸
この歌って、浮儚さんの句からあらためてふりかえって読んでみてわかったんですが、〈ライオンに触れる〉歌ではなくて、〈ライオンに触れない〉歌なんですよ。
「何の力だ」って結句に発話することは、語り手にとってある種の世界との差異化であり、世界への挑発であり、世界からの逃避であり、世界と自己の境界線づけでもあるとおもうんです。
つまりですね、結句が「わたしもふれる」とかだったら〈触れる〉歌なんです。でもこれは、〈触れない〉歌なんですよ。〈あなたがたは触れるけれども、わたしは触れない〉という。
以前、わたしはこの歌の感想を書いたとき、これはライオンが資本に懐柔されて宗教化してることをすっぱ抜いた歌なんだといういいかたをしました。
でもこの歌にはほかのそくめんもまだまだある。
たとえば、うえの話のつづきでいうならば、この歌では、ライオンが世界の境界線になっている。
「ひとりふたりさんにん」と数字に還元され非人称・無人称化されて〈触れる〉ひと・びとと、そのひと・びとを語り起こすことによって〈触れない〉この・わたしです。
あともうひとつ。浮儚さんの句で気がついたことが、ライオンには触れ方もあるよねっていうことです。
いろんなタッチのしかたがある。ふれるひと、ぽんぽんたたくひと、つっつくひと、つかむひと、撫でるひと。
それによって主体とライオンの位置づけのしかたがかわってくる。
〈撫でる〉という行為は、社会的というよりは、わたしとあなたとの想像的なイメージのなかのあたたかい関係ですよね。
わたしからライオンへ、ライオンからわたしへと主体が相互に備給しあってる関係といってもいい。春の風もあたたかそうです。
こういうふうに、おそらく、短詩において、〈三越のライオン〉の系譜がすこしずつ相互参照されながら、生成されている。
そのとき、じゃあ、三越のライオンにまたがろうとするのはどうかと思い、よじのぼり、おもむろにまたがったしゅんかん、わたしは取り押さえられたのです。
咲くものも散るものもゐて猫の恋 今野浮儚
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