【感想】〈おもしろこわさ〉から考えるカルタ俳句合戦~しずかに、ていねいに、なにげなく、奪う。~
- 2015/03/23
- 12:40
いろいろな手の交わりて歌留多かな 宮崎玲奈
*
M Yさんはカルタってされたりしますか?
Y ええ、家に帰るとよくやっています。
M あ、よくされてるんですね。おともだちなんかと。
Y いや、たいていはひとりでやってますね。たとえば、休日なんかもひとりで家でかるたをやっていることが多いです。
M のび太のひとりジャンケンみたいなものですね?
Y そうなるかあ……。
M ところでカルタの俳句がおもしろこわいんですよね。たとえば、野口る理さんのこんなかるた俳句をみてください。
しづかなるひとのうばへる歌留多かな 野口る理
Y 〈うばう〉ってのがこわいですね。でもたしかにかるた競技になると、ふだんはものしずかなのに修羅がみえてる方いらっしゃいますよね。
M ええ。それにかるただけでなく、人生で間々あるなにかこう〈うばう〉ドラマみたいになってるのもこわいとおもいませんか。
Y ボヴァリー夫人ですか? エマニエル夫人?
M いや、わからないですけど。る理さんの句の「かな」っていう切れ字もおもしろいですよね。シリアスなドラマなんだけれども、そのシリアスを言語化できない曖昧な空間が「かな」によってひろがっていく感じがあるようにおもいます。静と動のかるたダイナミズムといえば江渡さんのこんなかるた俳句もありますよ。
丁寧に歌留多並べて激しく取る 江渡華子
Y ていねいさと激しさの対立ですね。ていねいに形成された〈場〉がアクションによって崩れていく、しかしそれさえもかるたにとってはひとつの〈場〉として機能していく。そんなこわおもしろさがあります。こうみてみると、かるたって対極同士が激しくぶつかりあう〈磁場〉みたいなものなんですかね。
M そうですね。ていねいなんだけど激しいひといますよね。運転なんかも。
Y わたしもていねいな運転さばきをしながらも自宅の犬小屋に思いっきりバックでつっこんでいったことありますもん。
M そうですか。こんな浮儚さんの何気なさからの激しい句もありますよ。
何気ないふりして奪ふ歌留多かな 今野浮儚
Y ああ、何気ないふりして奪うってこんどカルタだけでなく、主体の意志がからんできておもしろこわいですね。〈ふり〉ですから、〈なにげある〉ってことですもんね。『昼顔』みたいでこわいなあ、それかボヴァリー夫人みたいで。
M ほかにはこんな松木さんと北大路さんのかるたの刹那的ハプニングからの〈激しさ〉を詠んだ句もありますよ。
福笑の顔へ飛びたる歌留多かな 松木秀
裏返る歌留多読む声恋の札 北大路京介
Y いろんな磁力がうずまいてますね。声が裏返るって、それはこんどはじぶんのなかの静と動の対立ですよね。声が裏返るって、ふだんの自分自身じゃないぶぶんが機能しているってことですよね。だから、かるたの現場って、身体的無意識が発露する現場だともいえるのかな。福笑の顔へ飛びたる、なんていうのも、どこか笑えない緊迫した感じありますよね。事件が起きていたのは、会議室でも現場でもなくて、かるた会場だったんですね。
M さいごはななさんのこんなかるたの句はどうでしょうか。やっぱり、かるたって、奪い合うものなんだろうか、というどこか静かなおもしろこわい部分も秘められているかもしれない句です。
歌留多つて軽いねあなたみたいだね なかやまなな
Y そうか、最初この句をみたとき、なんだかさわやかでほほえましい口語体の感じがしたんですが、いままでの奪い合う文脈でいえば、ちょっと〈おもしろこわさ〉がでてきますね。〈かるた=あなた〉。そして〈あなた=軽い〉。どちらにも転がるようなあなた。すぐに誰かに奪われてしまうあなた。奪っても奪ってもゲームが再開されて。うーん、こんなこといっていいかどうかわからないけれど、怒られるかもしれないけれど、もしかしたらなんだかかるたって恋愛の隠喩としても機能してしまっているような気もしますね。そんなドラマをかんじさせますよね。
M それはかるたが必ずひとり以上でするものだからでしょう。恋愛だってそうですよね。あなたがいて、わたしがいる。
Y いつもなにかさびしい、本質的な誤りをひとりカルタに感じていたんですが、今回のお話でひとりカルタの限界値が見えたようなきがします。ありがとうございました。
歌留多にはなき告白の歌が欲し 山口優夢
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M Yさんはカルタってされたりしますか?
Y ええ、家に帰るとよくやっています。
M あ、よくされてるんですね。おともだちなんかと。
Y いや、たいていはひとりでやってますね。たとえば、休日なんかもひとりで家でかるたをやっていることが多いです。
M のび太のひとりジャンケンみたいなものですね?
Y そうなるかあ……。
M ところでカルタの俳句がおもしろこわいんですよね。たとえば、野口る理さんのこんなかるた俳句をみてください。
しづかなるひとのうばへる歌留多かな 野口る理
Y 〈うばう〉ってのがこわいですね。でもたしかにかるた競技になると、ふだんはものしずかなのに修羅がみえてる方いらっしゃいますよね。
M ええ。それにかるただけでなく、人生で間々あるなにかこう〈うばう〉ドラマみたいになってるのもこわいとおもいませんか。
Y ボヴァリー夫人ですか? エマニエル夫人?
M いや、わからないですけど。る理さんの句の「かな」っていう切れ字もおもしろいですよね。シリアスなドラマなんだけれども、そのシリアスを言語化できない曖昧な空間が「かな」によってひろがっていく感じがあるようにおもいます。静と動のかるたダイナミズムといえば江渡さんのこんなかるた俳句もありますよ。
丁寧に歌留多並べて激しく取る 江渡華子
Y ていねいさと激しさの対立ですね。ていねいに形成された〈場〉がアクションによって崩れていく、しかしそれさえもかるたにとってはひとつの〈場〉として機能していく。そんなこわおもしろさがあります。こうみてみると、かるたって対極同士が激しくぶつかりあう〈磁場〉みたいなものなんですかね。
M そうですね。ていねいなんだけど激しいひといますよね。運転なんかも。
Y わたしもていねいな運転さばきをしながらも自宅の犬小屋に思いっきりバックでつっこんでいったことありますもん。
M そうですか。こんな浮儚さんの何気なさからの激しい句もありますよ。
何気ないふりして奪ふ歌留多かな 今野浮儚
Y ああ、何気ないふりして奪うってこんどカルタだけでなく、主体の意志がからんできておもしろこわいですね。〈ふり〉ですから、〈なにげある〉ってことですもんね。『昼顔』みたいでこわいなあ、それかボヴァリー夫人みたいで。
M ほかにはこんな松木さんと北大路さんのかるたの刹那的ハプニングからの〈激しさ〉を詠んだ句もありますよ。
福笑の顔へ飛びたる歌留多かな 松木秀
裏返る歌留多読む声恋の札 北大路京介
Y いろんな磁力がうずまいてますね。声が裏返るって、それはこんどはじぶんのなかの静と動の対立ですよね。声が裏返るって、ふだんの自分自身じゃないぶぶんが機能しているってことですよね。だから、かるたの現場って、身体的無意識が発露する現場だともいえるのかな。福笑の顔へ飛びたる、なんていうのも、どこか笑えない緊迫した感じありますよね。事件が起きていたのは、会議室でも現場でもなくて、かるた会場だったんですね。
M さいごはななさんのこんなかるたの句はどうでしょうか。やっぱり、かるたって、奪い合うものなんだろうか、というどこか静かなおもしろこわい部分も秘められているかもしれない句です。
歌留多つて軽いねあなたみたいだね なかやまなな
Y そうか、最初この句をみたとき、なんだかさわやかでほほえましい口語体の感じがしたんですが、いままでの奪い合う文脈でいえば、ちょっと〈おもしろこわさ〉がでてきますね。〈かるた=あなた〉。そして〈あなた=軽い〉。どちらにも転がるようなあなた。すぐに誰かに奪われてしまうあなた。奪っても奪ってもゲームが再開されて。うーん、こんなこといっていいかどうかわからないけれど、怒られるかもしれないけれど、もしかしたらなんだかかるたって恋愛の隠喩としても機能してしまっているような気もしますね。そんなドラマをかんじさせますよね。
M それはかるたが必ずひとり以上でするものだからでしょう。恋愛だってそうですよね。あなたがいて、わたしがいる。
Y いつもなにかさびしい、本質的な誤りをひとりカルタに感じていたんですが、今回のお話でひとりカルタの限界値が見えたようなきがします。ありがとうございました。
歌留多にはなき告白の歌が欲し 山口優夢
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