【感想】単純な穴になりたし曼珠沙華 柴田千晶
- 2015/03/23
- 23:00
単純な穴になりたし曼珠沙華 柴田千晶
M 柴田千晶さんの一句です。ちょっと今回は〈穴〉をめぐって〈単純〉ではないかたちですこし〈穴性〉みたいなものについてかんがえてみたいとおもいます。
Y この「曼珠沙華」という季語によって〈単純な穴〉の意味がずらされている構造の句のようにもおもうんですが、曼珠沙華っていうのはどういう花なんですか。
M 「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」とも呼ばれる花で、秋のお彼岸のころに咲く花です。彼岸っていえば、〈ムコウ側〉ということですから、こちら側=此岸の花というよりは、あっち側=彼岸にある花だというふうにいえるのではないかとおもうんですよね。
Y そうなるとこの句の「穴」っていうのは、なにかを貫通させたり通過させたり移送させるための身体的な〈穴〉だけじゃなくて、この世とあの世をつなぐ形而上学的な〈穴〉、精神的・霊的な穴ともいえたりするんでしょうか。
M この「単純な穴」の「単純な」にちょっと着目してみたいところですよね。
Y そういえば漱石の『明暗』はひとの身体の穴からはじまる小説ですよね。医者が穴に手をつっこみ、もう少し奥があるという。
M ええ。だからそれは〈単純な穴〉ではないですよね。「奥がある」っていうのは、複雑だとおもうんですよね。つまりですね、単純な穴っていうのは、こちら側からあちら側とかそういうベクトルがある〈穴〉のことじゃないとおもうんです。穴ってむこう側がどうなってるのか気になりますよね。星新一の「おーいでてこーい」も〈穴〉をめぐるショート・ショートですが、単純そうな穴にみえてあるシステムが組み込まれていた穴だった。だから、ベクトルや方向性をもたない穴。なにもかもがあけすけになっている穴。だれもがその穴がどこにむかうか、そしてどのように向かうかを知悉している穴。みんなが、ちゃんと知っている穴じゃないかとおもうんです。
Y そんな穴、この世の中にあるんですか。みんながちゃんと知っていて、みんなが親しみぶかい、かつ単純な穴なんて。
M 松尾スズキさんがラジオショーの最後に「これだけは知っておいてほしい。みんなはお母さんから生まれてきたんだよ!」と連呼していましたが、それともすこし関係ありますかね。
Y でも語り手は「穴」そのものになりたいんですよね。もしかして「単純」と「穴」って対立をなすものだったりするのではないですか。もちろん、たとえば乱暴な言い方をすれば、ただわたしは抱かれる存在になりたい、相手にとってのわたしは「穴」でいいという暴力的な隠喩もあるかもしれません。でもその隠喩から実際の身体距離や関係の生成の仕方にはだんだん複雑な手数が介入してくる。穴を単純に解釈したり、乱暴に規定しようとすると穴から返り討ちにあう。それがこの句の「単純な穴」の〈奥深さ〉なんじゃないかとおもうんですよ。単純の対義語は、穴だったんじゃないかとおもえてくるくらいです。
M だからきっと「なりたし」なんですよね、たぶん。〈なれない〉から。曼珠沙華もその意味でのどこまでも〈むこう〉にありつづける到達できない〈彼岸〉ということかもしれないですよね。だからこの句は一見、〈穴〉の句かとおもいきや、〈穴〉を志向しながらも、〈穴〉から自身が否定されつづける句といえるかもしれませんよね。
Y そういえば、漱石は『坑夫』でもある意味えんえんと穴を降りていく地獄めぐりのような話を書いていましたよね。語り手は地獄の底で「安さん」にであい、また地上にもどってくる。
M 穴はそんなふうにプロセスだから、シンプルさを阻むものとしてあるんじゃないかとおもうんですよね。だからもし穴が単純な穴としてあらわれるとき、〈穴性〉が消えるときだとおもう。
Y だからこの句の曼珠沙華って、えいえんに遅延しつづける穴の穴性としての〈到達できない彼岸〉ということなのかもしれませんね。いつか、穴アンソロジーが組めるようにこれからも〈穴〉をめぐる文学に興味関心を持っていこうとおもいます。じゃあ最後に漱石の『明暗』冒頭の〈穴〉のくだりを朗読しながらお別れしたいとおもいます。おやすみなさい。「医者は探(さぐ)りを入れた後で、手術台の上から津田を下ろした。「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前探った時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」……
そうなんだ、まだ、奥が、ある。
〈穴〉からこちらをうかがう漱石。すこしおびえている。
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