【感想】プラタナス、世界の終りの一日にあなたは本を整理している 加藤治郎
- 2015/04/02
- 21:54
プラタナス、世界の終りの一日にあなたは本を整理している 加藤治郎
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M 加藤治郎さんの一首です。この歌はある意味で〈終わり〉をめぐる歌なんですが、こないだの加藤治郎さんの毎日歌壇の選歌500回目も〈終わり〉をめぐって連が組まれていたんじゃないかと思います。
Y たしかにこないだの毎日歌壇は〈終わり〉が多かった気がします。特選の歌も水野真由美さんの〈卒園の歌〉の歌でしたよね。なんで〈終わり〉だったんだろう。
M それはこの歌にヒントがあるかもしれません。この歌をみてわかるように治郎さんの短歌において〈終わり〉は〈始まり〉でもあるようにおもうんですよね。本を整理するときってどういうときですか。
Y うーん、きっと使いやすく、読みやすくするためですよね。これから始まる生にそなえるためかも。
M そうですよね。もちろん、身の回りの整理として、〈本を整理〉する場合もあるけれど、でも、本を整理することによって、象徴的に人生を整理する場合だってある。
Y そういえばわたしも高校を中退したとき、本を整理してばかりいました。
M それってたぶん、混乱やカオスを少しでも整理整頓しようとするこころの現れだったんじゃないかと思うんですよね。
Y 本の整理って、ことばの整理、そしてこれまで読んできた、学んできた言説の整理、あるいは他者のことばの整理、じぶんじしんがいま所持していることばの整理などいろんなことにつながっていきますもんね。そしていまのことばを整理することで未来のことばを待ち受けることができるのかな。
M だからたぶんまだこの語り手は〈世界の終り〉に希望を見いだしているんじゃないかとおもうんですよね。ことばとしての未来を。
Y プラタナスでこの歌、はじまってますよね。
M それも大事だとおもうんです。この歌は〈終わり〉をめぐる歌なんですが、この歌自体の〈始まり〉にはプラタナス=スズカケノキという樹の名前がある。スズカケノキは並木道や公園などでみられる大きな樹なんですが、哲学者のプラトンがスズカケノキの下で講義をしたところからプラタナスという名前がついたらしい。
Y たしかにプラタナスってきいたときに、樹の名前なんだなって思いながらもどこかに哲学や思想の香りがしました。
M プラトンといえば、このいまある世界の背後に理想的なきちんとした世界=イデアがあるって考えていたひとですよね。たとえこの世界が不完全でも、この世界を支える完全な世界がある。完璧な三角形があるからこそ、この世界の不完全な三角形もわたしたちは認識することができる。だからこの歌にも「世界の終り」が歌われているけれど、それはひとつの〈現象〉に過ぎなくて、始まりも終わりもしない世界が存在し、存続している。物語や歌でかんたんに世界は終わり、閉じられてしまうのだけれど、でも世界はそうかんたんに終わらせられるわけではない。だからなんど世界が終わりはきても、未来のことばをわたしたちは準備して待たなければならない。いまもっていることばを毎日整理していく日々のなかから未来のことばを待たねばならない。そんなふうにおもうんですよね。
Y そういえばこの歌は「あなた」という主語を使っているのも特徴的ですよね。
M そうですよね。「わたし」ではなく呼びかけられる「あなた」なので、ここではいろんなひとが代入されるかたちでたぶん呼び込まれていくとおもうんです。世界はそんなふうにつねにひらいているということなんではないかとおもうんです。わたしの世界として閉じられているのではなく、それはどこまでも〈あなた〉の世界としてひらいている。たとえきょう世界が終わっても、きょう世界が終わるからこそ。
Y 終わりって、いつも始まりが胚胎してるってことですね。
M そうなんですよ、たしか三谷幸喜の『ラヂオの時間』でもこんなセリフがありましたよね。「これは終わりの始まりではない。始まりの終わりでもない。始まりの始まりなんだよ」と。
Y それはただたんに「始まるよ」っていうのをややこしくいってるだけじゃ……
M いや、そうかもしれませんが、でも、もう、わたしたちにとっては、ここが、終わりの終わりなんですよ。
Y え
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