【感想】水面を見ながら食べるメロンパンきみとはいつか話がしたい 虫武一俊
- 2015/04/04
- 23:54
水面を見ながら食べるメロンパンきみとはいつか話がしたい 虫武一俊
*
M 虫武さんの一首です。
Y 「水面を見ながら食べ」ているのが気になります。
M これはひとつの解釈なんですが、水面って鏡ですよね。じぶんが映るわけです。だからある意味、じぶんに向き合いながらメロンパンを食べているとおもうんです。
Y それで池でも湖でもなく水面なのかな。でも鏡ではないんですよね。
M そうなんですよね。あくまで水面ですから。だからそこは波紋や波状というノイズがでるかもしれない。だからそこに映るのはじぶんばかりじゃない、空を飛ぶ鳥がうつるかもしれないし。だから水面ってノイズの多い鏡だとおもうんですね。じぶんがじぶんをみているんだけれど、そのじぶんをみていくなかでいろんなものがうつりこみはいりこみ呼びかけてくる。それが水面なんじゃないかとおもうんです。
Y そうしたいろんなじぶんの乱反射のなかでメロンパンをたべている。
M このメロンパンがこの歌のひとつの力点のようにおもうんですよね。水面ってたぶんある意味、自我の緊張状態の象徴だともおもうんです、じぶんがじぶんから抜けられないことの。でもここでメロンパンがとうとつにでてくることによってそうした緊張感をそらしてしまう。そこからぬけでることができる。このメロンパンって啓示というか救いのような気さえしてくる。でもメロンパンはメロンパンなんですよね。パン屋さんで気軽に買えるものです。特別な意味はない。特別な意味はないけれど、この歌では特別な意味をもつ。メロンパンには自我なんてないものですものね。メロンもない。
Y メロンパンっておもしろいたべものですよね。メロンパンっていいながら、メロン的要素がない。なんだか、アイデンティティがぶっこわれてる。
M そうなんですよ。水面は、じぶん=じぶんみたいにアイデンティティがしっかりしてるんだけど、メロンパンはメロンパンとしてはアイデンティティがぶれぶれなんですよ。だからじぶんからじぶんが抜け出るチャンスがメロンパンにはある。そこにこの歌のパワーがあるようにおもう。
Y だからなんだか希望をかんじるのかな。
M そうなんですよね、「君とはいつか話がしたい」。水面だけみていたらできないかもしれないけれど、メロンパンをたべつづけられるかぎり、語り手は《いつか》できるんじゃないかとおもうんですよね。きみと話が。それはメロンパンの話でもいいんだから。メロンパンはきみへの扉なんですよね。たぶん。
Y レイモンド・カーヴァーにもパンを食べることによってふいに救われてしまう「ささやかだけれど、役に立つこと」という話がありましたよね。
M じゃあその朗読で今回は終わりにしましょう。ちなみにカーヴァーといえば村上春樹さんの訳が有名なんですが、ちょっとここは珍しい柴田元幸さんの訳で読んでみましょう。
Y 「「お二人とも、何か食べた方がいい」とパン屋は言った。「私の焼きたてのロールパンを召し上がっていただけませんかね。食べて、先へ進んでいかなくちゃ。食べるってのはこういうときには、ささやかだけど、いいことですよ」オーブンから出したての、アイシングがまだ固まっていない温かいシナモン・ロールを彼は二人に差し出した。そしてテーブルの上にバターと、バターを塗るナイフを置いた。「何か食べるのはいいことです。まだまだあります。どんどん食べてください。好きなだけお食べなさい。ロールパンならここにはいくらでもあるんです」……
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M 虫武さんの一首です。
Y 「水面を見ながら食べ」ているのが気になります。
M これはひとつの解釈なんですが、水面って鏡ですよね。じぶんが映るわけです。だからある意味、じぶんに向き合いながらメロンパンを食べているとおもうんです。
Y それで池でも湖でもなく水面なのかな。でも鏡ではないんですよね。
M そうなんですよね。あくまで水面ですから。だからそこは波紋や波状というノイズがでるかもしれない。だからそこに映るのはじぶんばかりじゃない、空を飛ぶ鳥がうつるかもしれないし。だから水面ってノイズの多い鏡だとおもうんですね。じぶんがじぶんをみているんだけれど、そのじぶんをみていくなかでいろんなものがうつりこみはいりこみ呼びかけてくる。それが水面なんじゃないかとおもうんです。
Y そうしたいろんなじぶんの乱反射のなかでメロンパンをたべている。
M このメロンパンがこの歌のひとつの力点のようにおもうんですよね。水面ってたぶんある意味、自我の緊張状態の象徴だともおもうんです、じぶんがじぶんから抜けられないことの。でもここでメロンパンがとうとつにでてくることによってそうした緊張感をそらしてしまう。そこからぬけでることができる。このメロンパンって啓示というか救いのような気さえしてくる。でもメロンパンはメロンパンなんですよね。パン屋さんで気軽に買えるものです。特別な意味はない。特別な意味はないけれど、この歌では特別な意味をもつ。メロンパンには自我なんてないものですものね。メロンもない。
Y メロンパンっておもしろいたべものですよね。メロンパンっていいながら、メロン的要素がない。なんだか、アイデンティティがぶっこわれてる。
M そうなんですよ。水面は、じぶん=じぶんみたいにアイデンティティがしっかりしてるんだけど、メロンパンはメロンパンとしてはアイデンティティがぶれぶれなんですよ。だからじぶんからじぶんが抜け出るチャンスがメロンパンにはある。そこにこの歌のパワーがあるようにおもう。
Y だからなんだか希望をかんじるのかな。
M そうなんですよね、「君とはいつか話がしたい」。水面だけみていたらできないかもしれないけれど、メロンパンをたべつづけられるかぎり、語り手は《いつか》できるんじゃないかとおもうんですよね。きみと話が。それはメロンパンの話でもいいんだから。メロンパンはきみへの扉なんですよね。たぶん。
Y レイモンド・カーヴァーにもパンを食べることによってふいに救われてしまう「ささやかだけれど、役に立つこと」という話がありましたよね。
M じゃあその朗読で今回は終わりにしましょう。ちなみにカーヴァーといえば村上春樹さんの訳が有名なんですが、ちょっとここは珍しい柴田元幸さんの訳で読んでみましょう。
Y 「「お二人とも、何か食べた方がいい」とパン屋は言った。「私の焼きたてのロールパンを召し上がっていただけませんかね。食べて、先へ進んでいかなくちゃ。食べるってのはこういうときには、ささやかだけど、いいことですよ」オーブンから出したての、アイシングがまだ固まっていない温かいシナモン・ロールを彼は二人に差し出した。そしてテーブルの上にバターと、バターを塗るナイフを置いた。「何か食べるのはいいことです。まだまだあります。どんどん食べてください。好きなだけお食べなさい。ロールパンならここにはいくらでもあるんです」……
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