【短歌】四本の…(毎日新聞・毎日歌壇・米川千嘉子 選・2015年4月6日)
- 2015/04/06
- 06:54
四本の突起のうえに座ってた十二年間を学校という 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇・米川千嘉子 選・2015年4月6日)
【「ガッコウッテナンナノ?」「イスヨ」】
高校に入ってから数日たったある日、とつぜんわたしは驚いたんですよね。
ふいにびっくりしたんですよ。
隣の席の女の子もとうとつにおどろいたわたしにおどろいていたんだけれど。
でも、おどろいていた。
それはなぜこんなにもひとは座らなければならないんだ、っていうことなんですよ。
じぶんにとって学校という場所は、もうなによりも《座る場所》だった。
学んだり、青春を謳歌したり、ともだちがふえたりへったり、好きなせんせいがいたり、勉強に燃えたり、教室のいちばん前に座っているあなたの背中がずっと気になっていたり、つっぷして寝ていたらわたしの知らない五月の風が窓から吹き込んできたり、などという場所ではなかった。
わたしにとっては、《ここに座っていろ》といわれて、ただ無条件に《はい》といってじゅうにねんかん座っていたそんな場所だった。
ときどき、となりの女の子にいっていたんです。
ひとってこんなにも座らなきゃならないんだね。
なんのためにひとはこんなにも座るんだろう。
このままじゃ、わたしたち、座るプロになってしまうよ、と。
なにもできないおとなになったとしても、《座る》ことだけには長けてしまうよ、と。
でもそのとき女の子がわたしにいったことばに、わたしはまたおどろいたんですよ。
そうだね、たしかにわたしたちは座るプロになっちゃうかもしれない。
でも、やぎもとさんは学校わりとかんたんにやすんじゃうじゃん。きのうも電車を降りそびれたとかいって、遠くの知らない街に行っていたでしょう?
だから、やぎもとさんは座るプロにも、なれないよ。
そっか、とわたしが言ったしゅんかん、四月にはいったばかりのわたしのまだ知らない風が、つっぷしたままの座ることがへたくそなわたしに吹いてきたのです。
さやさやとさやさやと揺れやすき少女らを秋の教室に苦しめてをり 米川千嘉子
(毎日新聞・毎日歌壇・米川千嘉子 選・2015年4月6日)
【「ガッコウッテナンナノ?」「イスヨ」】
高校に入ってから数日たったある日、とつぜんわたしは驚いたんですよね。
ふいにびっくりしたんですよ。
隣の席の女の子もとうとつにおどろいたわたしにおどろいていたんだけれど。
でも、おどろいていた。
それはなぜこんなにもひとは座らなければならないんだ、っていうことなんですよ。
じぶんにとって学校という場所は、もうなによりも《座る場所》だった。
学んだり、青春を謳歌したり、ともだちがふえたりへったり、好きなせんせいがいたり、勉強に燃えたり、教室のいちばん前に座っているあなたの背中がずっと気になっていたり、つっぷして寝ていたらわたしの知らない五月の風が窓から吹き込んできたり、などという場所ではなかった。
わたしにとっては、《ここに座っていろ》といわれて、ただ無条件に《はい》といってじゅうにねんかん座っていたそんな場所だった。
ときどき、となりの女の子にいっていたんです。
ひとってこんなにも座らなきゃならないんだね。
なんのためにひとはこんなにも座るんだろう。
このままじゃ、わたしたち、座るプロになってしまうよ、と。
なにもできないおとなになったとしても、《座る》ことだけには長けてしまうよ、と。
でもそのとき女の子がわたしにいったことばに、わたしはまたおどろいたんですよ。
そうだね、たしかにわたしたちは座るプロになっちゃうかもしれない。
でも、やぎもとさんは学校わりとかんたんにやすんじゃうじゃん。きのうも電車を降りそびれたとかいって、遠くの知らない街に行っていたでしょう?
だから、やぎもとさんは座るプロにも、なれないよ。
そっか、とわたしが言ったしゅんかん、四月にはいったばかりのわたしのまだ知らない風が、つっぷしたままの座ることがへたくそなわたしに吹いてきたのです。
さやさやとさやさやと揺れやすき少女らを秋の教室に苦しめてをり 米川千嘉子
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:短歌
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の短歌