【お知らせ】「【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く~意味よりもほんの少し前に~(聴き手:柳本々々)」『川柳スープレックス』
- 2015/04/08
- 01:00
飯島章友さんにインタビューさせていただいたものを前・後篇にわたって『川柳スープレックス』にあげました。
【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く〔前篇〕~川柳はどこまで濡れるのか~(聴き手:柳本々々)
【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く〔後篇〕~必敗の覚悟を抱きしめて~(聴き手:柳本々々)
川柳だけでなく、川柳と他の短詩とのかかわり合いなど興味深い話題をいろいろ展開してくださり、わたしもお話を聴きながらあらためて川柳と短歌の関係についてかんがえたりしました。
お時間のありますときにお読みくださるとさいわいです。
ちなみに飯島さんはわたしが『かばん』に入らせていただいたときに編集人をされていて、その『かばん』で毎月「かばんも五七五」というコーナーを設けられていました。それは短歌の海のなかに浮き島のようにある、川柳や俳句、五七五をめぐるひとつの〈場〉でした。
そこでわたしははじめて川柳を投句したんですが、ひとつ思ったのは、短歌と川柳はかなりモードを切り換えないとできない異ジャンルだということです。
これは、『かばん』という短歌の海のようなメディアのなかで川柳をみてあらためて思ったことでもあるのですが、短歌と川柳は〈短詩〉としてどこか重なっているところがありつつも、短歌のコードで川柳をつくったり、川柳のコードで短歌をつくったりするとどこかジャンルそのものからはねつけられるところが、ある。
それはなんなんだろうといまでもふしぎに思っています。
五七五と五七五七七には、かんたんに踏み渡れない〈はるかな距離〉がある。
それは、構造の問題なのか。歴史的背景の問題なのか。音数律の問題なのか。ジャンルの問題なのか。メディアの問題なのか。
そのことを飯島さんはいつもどこかに念頭におかれている部分があるんじゃないかと思い、そんなところもうかがってみました。
なお、この対談は風の吹き渡る草原で正座で行われました。
【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く〔前篇〕~川柳はどこまで濡れるのか~(聴き手:柳本々々)
【川柳インタビュー】飯島章友さんに聴く〔後篇〕~必敗の覚悟を抱きしめて~(聴き手:柳本々々)
川柳だけでなく、川柳と他の短詩とのかかわり合いなど興味深い話題をいろいろ展開してくださり、わたしもお話を聴きながらあらためて川柳と短歌の関係についてかんがえたりしました。
お時間のありますときにお読みくださるとさいわいです。
ちなみに飯島さんはわたしが『かばん』に入らせていただいたときに編集人をされていて、その『かばん』で毎月「かばんも五七五」というコーナーを設けられていました。それは短歌の海のなかに浮き島のようにある、川柳や俳句、五七五をめぐるひとつの〈場〉でした。
そこでわたしははじめて川柳を投句したんですが、ひとつ思ったのは、短歌と川柳はかなりモードを切り換えないとできない異ジャンルだということです。
これは、『かばん』という短歌の海のようなメディアのなかで川柳をみてあらためて思ったことでもあるのですが、短歌と川柳は〈短詩〉としてどこか重なっているところがありつつも、短歌のコードで川柳をつくったり、川柳のコードで短歌をつくったりするとどこかジャンルそのものからはねつけられるところが、ある。
それはなんなんだろうといまでもふしぎに思っています。
五七五と五七五七七には、かんたんに踏み渡れない〈はるかな距離〉がある。
それは、構造の問題なのか。歴史的背景の問題なのか。音数律の問題なのか。ジャンルの問題なのか。メディアの問題なのか。
そのことを飯島さんはいつもどこかに念頭におかれている部分があるんじゃないかと思い、そんなところもうかがってみました。
なお、この対談は風の吹き渡る草原で正座で行われました。
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