【感想】甘くなりたい。あさっては誕生日。いちご100%で生きる 藤本玲未
- 2015/04/16
- 06:39
甘くなりたい。あさっては誕生日。いちご100%で生きる 藤本玲未
【苺の魔術】
この歌の「あさって」っていうのがポイントじゃないかと思うんです。「あす」ではない。
この「あさって」って定型から割り出されたことばかもしれないけれど、それは「あす」ではなかった。
「あさって」、つまり二日前から、「誕生日」への意識を語り手がもっているっていうことですよね。
しかも、です。
いちにちまえからじゃなくて、ふつかまえから「いちご100%」のストロベリー全開で生き抜けようと語り手はしている。いちご100%で誕生日をいちごの助走をつけつつ、駆け抜けようとしている。
その「あさって」と「100%」の兼ね合いのありかたがおもしろいなっておもうんです。
たとえば二日前から二日間全力で、100%でっていわれたら、ちょっとためらうとおもうんです。じぶんからじぶんにいわれたとしても。
でも、なぜだかこの歌ではそれが成立してしまう。
なぜか?
それってもしかしたら「いちご」のマジックなのかなともおもうんです。
100%だけだときついイメージがありますが、「いちご100%」ってきついんじゃなくて、〈甘い〉んですよね。100%だけだと出力というふうに状態の移行というイメージがあるけれど、「いちご100%」には状態の持続というイメージがある。
そうしたいちごのメディア性をうまく使った歌なのではないかとおもうんです。
いちごは、メディアになる。意味生成の。
またこの歌って句点(。)が多いのが特徴的なんですが、自分が自分に呼びかける会話体のような自分に呼びかける〈甘い苺的空間〉を感じさせると同時に、句点の○、%の○がイチゴのようで、視覚的なイチゴのレトリックの素敵さがある。
漱石はたしか、わたしは猫ロマンチシズムだといっていましたが、わたしはこの歌にもしかすると、イチゴ・リアリズム、というものがあるんじゃないかなっておもうのです。
だってまだ好意があるし適当に連絡するし一段飛ばし 藤本玲未
【苺の魔術】
この歌の「あさって」っていうのがポイントじゃないかと思うんです。「あす」ではない。
この「あさって」って定型から割り出されたことばかもしれないけれど、それは「あす」ではなかった。
「あさって」、つまり二日前から、「誕生日」への意識を語り手がもっているっていうことですよね。
しかも、です。
いちにちまえからじゃなくて、ふつかまえから「いちご100%」のストロベリー全開で生き抜けようと語り手はしている。いちご100%で誕生日をいちごの助走をつけつつ、駆け抜けようとしている。
その「あさって」と「100%」の兼ね合いのありかたがおもしろいなっておもうんです。
たとえば二日前から二日間全力で、100%でっていわれたら、ちょっとためらうとおもうんです。じぶんからじぶんにいわれたとしても。
でも、なぜだかこの歌ではそれが成立してしまう。
なぜか?
それってもしかしたら「いちご」のマジックなのかなともおもうんです。
100%だけだときついイメージがありますが、「いちご100%」ってきついんじゃなくて、〈甘い〉んですよね。100%だけだと出力というふうに状態の移行というイメージがあるけれど、「いちご100%」には状態の持続というイメージがある。
そうしたいちごのメディア性をうまく使った歌なのではないかとおもうんです。
いちごは、メディアになる。意味生成の。
またこの歌って句点(。)が多いのが特徴的なんですが、自分が自分に呼びかける会話体のような自分に呼びかける〈甘い苺的空間〉を感じさせると同時に、句点の○、%の○がイチゴのようで、視覚的なイチゴのレトリックの素敵さがある。
漱石はたしか、わたしは猫ロマンチシズムだといっていましたが、わたしはこの歌にもしかすると、イチゴ・リアリズム、というものがあるんじゃないかなっておもうのです。
だってまだ好意があるし適当に連絡するし一段飛ばし 藤本玲未
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