【お知らせ】「【夢を読むこと】にゃあにゃあにゃあにゃにゃあにゃあにゃあにゃにゃにゃあ(訳:夢は語る=騙ることができるのか、或いは夢の言説編制をずらす猫)」『週刊俳句 第418号』
- 2015/04/26
- 08:01
『週刊俳句 第418号』にて「【夢を読むこと】にゃあにゃあにゃあにゃにゃあにゃあにゃあにゃにゃにゃあ(訳:夢は語る=騙ることができるのか、或いは夢の言説編制をずらす猫)」という文章を載せていただきました。『週刊俳句』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
今回載せていただいたのは、笹田かなえさんの句からかんがえてみた〈夢を語る〉ことをめぐる記事です。
今回のタイトル、ふざけているわけではなくて、一応、意味があるんですね。
夢を語るということは、どこかで〈翻訳〉に近いとおもっていて、で、その〈翻訳〉はどこかで〈踏み切る力〉だとおもってるんですね。
この言い換えや訳が正しいか・正しくないかの彼岸で踏み切るちからということです。それが翻訳であり、夢を語ることなのではないかと。
たとえば、Hello は「こんにちは」と訳します。これはもちろんそうなんです。そう訳すんです。そう訳すんだけれども、でも、Hello は Hello でしかなく「こんにちは」ではないわけです。
「こんにちは」と訳したしゅんかん、それは誤りになる。Hello から逸れるから。
でも、ひとはそこは踏み切るわけです。あるしゅんかんにおいて。
踏み切らないと訳せないから。
だから実は翻訳っていうのは、すこし狂気にもちかい。
これでいこう、って暴力的にきめちゃうわけです。
それは、夢を語るという行為もじつは近いのかなとおもっています。夢は夢のままには、語れない。どこかであきらめて、踏み切って、イメージをことばにするわけです。
これはもっといえば、表現行為はそもそもがそうした〈飛躍〉があって成立してるんじゃないかなとおもいます。
頭のなかにあることを言語化することも〈翻訳〉なので。
だから、ひとは表現するとき、どうしても言語化できない〈にゃあ〉のめぐりをまわっているのではないかと、おもうのです。
一生かけて。
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
今回載せていただいたのは、笹田かなえさんの句からかんがえてみた〈夢を語る〉ことをめぐる記事です。
今回のタイトル、ふざけているわけではなくて、一応、意味があるんですね。
夢を語るということは、どこかで〈翻訳〉に近いとおもっていて、で、その〈翻訳〉はどこかで〈踏み切る力〉だとおもってるんですね。
この言い換えや訳が正しいか・正しくないかの彼岸で踏み切るちからということです。それが翻訳であり、夢を語ることなのではないかと。
たとえば、Hello は「こんにちは」と訳します。これはもちろんそうなんです。そう訳すんです。そう訳すんだけれども、でも、Hello は Hello でしかなく「こんにちは」ではないわけです。
「こんにちは」と訳したしゅんかん、それは誤りになる。Hello から逸れるから。
でも、ひとはそこは踏み切るわけです。あるしゅんかんにおいて。
踏み切らないと訳せないから。
だから実は翻訳っていうのは、すこし狂気にもちかい。
これでいこう、って暴力的にきめちゃうわけです。
それは、夢を語るという行為もじつは近いのかなとおもっています。夢は夢のままには、語れない。どこかであきらめて、踏み切って、イメージをことばにするわけです。
これはもっといえば、表現行為はそもそもがそうした〈飛躍〉があって成立してるんじゃないかなとおもいます。
頭のなかにあることを言語化することも〈翻訳〉なので。
だから、ひとは表現するとき、どうしても言語化できない〈にゃあ〉のめぐりをまわっているのではないかと、おもうのです。
一生かけて。
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