【感想】真夜中に起きるとまるでよれよれの日本妖怪みたいな気持ち 西田政史
- 2015/05/01
- 12:00
真夜中に起きるとまるでよれよれの日本妖怪みたいな気持ち 西田政史
*
M 『短歌研究』1992年8月号の西田さんの連作「怪奇篇抄」の一首です。今回考えてみたいのは、短歌における〈真夜中〉ってなんなのか、ってことなんですよ。
Y この歌だと、たぶん真夜中にとつぜん眼がさめてしまったときのどうしようもない、やり場のないきもちが「よれよれの日本妖怪」としてあらわされていますよね。
M この「妖怪」じゃなくて「日本妖怪」という限定的な語の規定が大事なのかなとおもうんですよ。それは「西欧の妖怪」とかじゃだめで、「日本妖怪」という「妖怪」ではあるんだけれども「日本」と規定されたものでなければならない。そうした「妖怪」という定義が広大にひろがるものに「日本」という限定修飾を加えることによって、〈えたいのしれないきもち〉が茫洋とならずに閉塞感としてあらわされているようにおもう。ちなみに西田政史さんは〈ニューウェーブ〉として言及もされていたんですが、〈ニューウェーブ〉の歌というのはどこか〈えたいのしれないきもち〉と向き合っていたようにおもうんですよ。ニューウェーブは90年代前半から出てきた呼称だけれども、たとえば80年代なかばのライトバースっていう俵万智さんの文語的口語歌だと〈えたいのしれるきもち〉ですよね。
焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 俵万智
ああこのひとは、家族から奪いたいほどに、グラタンよりもだいすきなひとがいるんだなあ、という。〈えたいのしれるきもち〉ていうのは語り手と語り手がことばを向けている聞き手が歌のなかではっきりしているんですよ。そしてその関係性のなかで生起する〈きもち〉も。
Y グラタンおいしいんですけどね。そういえば「真夜中」の歌といえば、この西田さんの連作の真下、おなじページにやはりニューウェーブといわれていた穂村弘さんの連作「絶望時計」がありますよね。
真夜中のガソリンスタンドの鳥籠の中で羽搏きながら「オハヨー」 穂村弘
M ちょっと西田さんの真夜中の歌と風合いが似ていて、やはり真夜中に覚醒しているんだけれども、「オハヨー」と「鳥籠の中」から鳥か鳥以外のいきものかわたしが発話することによって、〈えたいのしれないきもち〉があらわれているように思うんですよね。だいたい誰が発話しているのかわからないのがえたいがしれないですよね。
じゃあさいごに西田さんの〈えたいのしれない〉発話者の歌で終わりにしましょう。この歌の《》は掲載された表記としては傍点であらわされています。
とつておきの話だ《おいでおいで》から《お邪魔しました》までを話すよ 西田政史
Y え、えたいのしれなさすぎる!
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M 『短歌研究』1992年8月号の西田さんの連作「怪奇篇抄」の一首です。今回考えてみたいのは、短歌における〈真夜中〉ってなんなのか、ってことなんですよ。
Y この歌だと、たぶん真夜中にとつぜん眼がさめてしまったときのどうしようもない、やり場のないきもちが「よれよれの日本妖怪」としてあらわされていますよね。
M この「妖怪」じゃなくて「日本妖怪」という限定的な語の規定が大事なのかなとおもうんですよ。それは「西欧の妖怪」とかじゃだめで、「日本妖怪」という「妖怪」ではあるんだけれども「日本」と規定されたものでなければならない。そうした「妖怪」という定義が広大にひろがるものに「日本」という限定修飾を加えることによって、〈えたいのしれないきもち〉が茫洋とならずに閉塞感としてあらわされているようにおもう。ちなみに西田政史さんは〈ニューウェーブ〉として言及もされていたんですが、〈ニューウェーブ〉の歌というのはどこか〈えたいのしれないきもち〉と向き合っていたようにおもうんですよ。ニューウェーブは90年代前半から出てきた呼称だけれども、たとえば80年代なかばのライトバースっていう俵万智さんの文語的口語歌だと〈えたいのしれるきもち〉ですよね。
焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 俵万智
ああこのひとは、家族から奪いたいほどに、グラタンよりもだいすきなひとがいるんだなあ、という。〈えたいのしれるきもち〉ていうのは語り手と語り手がことばを向けている聞き手が歌のなかではっきりしているんですよ。そしてその関係性のなかで生起する〈きもち〉も。
Y グラタンおいしいんですけどね。そういえば「真夜中」の歌といえば、この西田さんの連作の真下、おなじページにやはりニューウェーブといわれていた穂村弘さんの連作「絶望時計」がありますよね。
真夜中のガソリンスタンドの鳥籠の中で羽搏きながら「オハヨー」 穂村弘
M ちょっと西田さんの真夜中の歌と風合いが似ていて、やはり真夜中に覚醒しているんだけれども、「オハヨー」と「鳥籠の中」から鳥か鳥以外のいきものかわたしが発話することによって、〈えたいのしれないきもち〉があらわれているように思うんですよね。だいたい誰が発話しているのかわからないのがえたいがしれないですよね。
じゃあさいごに西田さんの〈えたいのしれない〉発話者の歌で終わりにしましょう。この歌の《》は掲載された表記としては傍点であらわされています。
とつておきの話だ《おいでおいで》から《お邪魔しました》までを話すよ 西田政史
Y え、えたいのしれなさすぎる!
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