【感想】わたしが寝てる間にみんな何してる 地下鉄でお花見に出かけてる 永井祐
- 2014/05/26
- 12:18
わたしが寝てる間にみんな何してる 地下鉄でお花見に出かけてる 永井祐
【Hさんからもらったメール-夏目漱石と永井祐-】
永井祐さんのこの短歌の、「わたしが寝てる間に」という部分に注目してみたいとおもいます。
〈寝る〉ってことはどういうことかというと、〈わたし〉という主体が機能不全になることだと思うんです。
たとえばこの短歌の「わたし」も寝ている間は機能不全で発話できない。だから事後的に、自問自答するようなかたちで、「わたしが寝てる間にみんな何してる地下鉄でお花見に出かけてる」とうたっています。語り手はあらかじめ「みんな」が「お花見に出かけてる」という情報は知っていながら(「地下鉄で」とかなり具体的な情報を有しています)あえてもう一度、「寝てる」「わたし」と「お花見」に「出かけ」た「みんな」との関係を言説化しています。
たとえば夏目漱石の『行人』という小説はこの永井さんの短歌と微妙に似た構造をとっています。妻でさえ研究的に観察をしてきた、家族とさえ相容れない一郎が最終的にたどりついたのは「ぐうぐう眠」っているところを「Hさん」というひとから記述されるラストです。ここでは他者に対して観察的行為を繰り返してきた一郎が、最終的に睡眠によって機能不全になることで、ぎゃくに観察されるという体裁になっています。
ここであえて永井さんの短歌と漱石の小説とから、主体と睡眠の関係について考察してみるならば、発話主・観察主体を〈睡眠〉は機能不全におちいらせることで、はじめてもうひとつの覚醒時とはちがった主体と「みんな」との関係を描き出します。そしてそのはじめて描き出された関係によってもういちど主体は問い直され、位置づけなおされます。
漱石の小説においては、語り手の人称主体は変化するため、一郎の弟の二郎からHさんに語り手の焦点がうつることによって、一郎のもうひとつの主体の側面、関係性が描かれるのですが、永井さんの短歌の場合、睡眠中のわたしと起床後のわたしというわたしを分裂する手続きを前提に含めることによって、わたしひとりで、(劇団ひとりのような感じで)ひとり漱石的主体をまかなっています。これがたぶんこの短歌のひとつのおもしろさなのではないかとおもうんです。
睡眠と主体と表象をめぐる問題系をかんがえさせる興味深い短歌だとおもいます。
寝るときの感覚を英語で言えば WASHED OUT 君に話した 永井祐
私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします。
夏目漱石『行人』
【Hさんからもらったメール-夏目漱石と永井祐-】
永井祐さんのこの短歌の、「わたしが寝てる間に」という部分に注目してみたいとおもいます。
〈寝る〉ってことはどういうことかというと、〈わたし〉という主体が機能不全になることだと思うんです。
たとえばこの短歌の「わたし」も寝ている間は機能不全で発話できない。だから事後的に、自問自答するようなかたちで、「わたしが寝てる間にみんな何してる地下鉄でお花見に出かけてる」とうたっています。語り手はあらかじめ「みんな」が「お花見に出かけてる」という情報は知っていながら(「地下鉄で」とかなり具体的な情報を有しています)あえてもう一度、「寝てる」「わたし」と「お花見」に「出かけ」た「みんな」との関係を言説化しています。
たとえば夏目漱石の『行人』という小説はこの永井さんの短歌と微妙に似た構造をとっています。妻でさえ研究的に観察をしてきた、家族とさえ相容れない一郎が最終的にたどりついたのは「ぐうぐう眠」っているところを「Hさん」というひとから記述されるラストです。ここでは他者に対して観察的行為を繰り返してきた一郎が、最終的に睡眠によって機能不全になることで、ぎゃくに観察されるという体裁になっています。
ここであえて永井さんの短歌と漱石の小説とから、主体と睡眠の関係について考察してみるならば、発話主・観察主体を〈睡眠〉は機能不全におちいらせることで、はじめてもうひとつの覚醒時とはちがった主体と「みんな」との関係を描き出します。そしてそのはじめて描き出された関係によってもういちど主体は問い直され、位置づけなおされます。
漱石の小説においては、語り手の人称主体は変化するため、一郎の弟の二郎からHさんに語り手の焦点がうつることによって、一郎のもうひとつの主体の側面、関係性が描かれるのですが、永井さんの短歌の場合、睡眠中のわたしと起床後のわたしというわたしを分裂する手続きを前提に含めることによって、わたしひとりで、(劇団ひとりのような感じで)ひとり漱石的主体をまかなっています。これがたぶんこの短歌のひとつのおもしろさなのではないかとおもうんです。
睡眠と主体と表象をめぐる問題系をかんがえさせる興味深い短歌だとおもいます。
寝るときの感覚を英語で言えば WASHED OUT 君に話した 永井祐
私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします。
夏目漱石『行人』
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