羊の群のなかで山羊が描くあとがき。羊羊羊ひつじヒツジ未
- 2015/05/07
- 21:53
安福望さんに短歌を絵にしていただきました。
ありがとうございました!
「白色と不運」
安福望さんと岡野大嗣さんがネットプリントでブックカバーを配信されているそうです。
「サイレンと犀」ブックカバー
私の描いていただいた絵も、このブックカバーのイラストもそうなのですが、安福さんの絵のひとつの特徴にリフレインされることによってつくられる空間というものがあるようにおもうんです。
そこで思い出したのが、短歌における技法「列叙法」です。かんたんにいうと、ことばをべたべた並べることによって独特の空間をかもしだす方法です。
たとえば「列叙法」といえばどんな短歌があるか。穂村弘さんが『短歌研究』1993年11月に「列叙法」として幾つか短歌を紹介されています。
思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花 俵万智
波が波の波を波にして夕暮れる
見つめきれないものは少ない 林あまり
鳥の声、祈り、笛の音、暮れの鐘、日暮れやすらぐ川岸の町 谷岡亜紀
窓ガラスたたく春風 試験管 ロート O2 君のゐない実験室(ラボ) 喜多昭夫
こうやって列叙法の短歌を〈列叙〉してみるとわかってくることですが、どの短歌もことばが並列され、しかし違いをめいめいにもちながらも繰り返されていくことによって、おたがいがおたがいに関係しあいながらも、関係しあえないひとつのそれぞれのことばとして働いているのがわかります。
たとえば、林あまりさんの短歌なら、「波が波の波を波にして」と〈波〉で関係しあいながらも、「波が夕暮れる」「波の夕暮れる」「波を夕暮れる」とそれぞれに細かい波のニュアンスや表情があるわけです。それは、リフレインされたからといってひとくくりにくくれるものではないですが、しかしリフレインすることによってその場かぎりの関係性をつないでいく。
だから、安福さんの絵をみてわたしがたしかなかたちでひとつだけいえることはこういうことではないかとおもうのです。
羊が羊の羊を羊にしているが、しかし羊におなじ羊は一匹たりともいないんだ、と。
新聞がきょうもきてないこの朝に戦車のような羊の群れが 柳本々々
ありがとうございました!
「白色と不運」
安福望さんと岡野大嗣さんがネットプリントでブックカバーを配信されているそうです。
「サイレンと犀」ブックカバー
私の描いていただいた絵も、このブックカバーのイラストもそうなのですが、安福さんの絵のひとつの特徴にリフレインされることによってつくられる空間というものがあるようにおもうんです。
そこで思い出したのが、短歌における技法「列叙法」です。かんたんにいうと、ことばをべたべた並べることによって独特の空間をかもしだす方法です。
たとえば「列叙法」といえばどんな短歌があるか。穂村弘さんが『短歌研究』1993年11月に「列叙法」として幾つか短歌を紹介されています。
思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花 俵万智
波が波の波を波にして夕暮れる
見つめきれないものは少ない 林あまり
鳥の声、祈り、笛の音、暮れの鐘、日暮れやすらぐ川岸の町 谷岡亜紀
窓ガラスたたく春風 試験管 ロート O2 君のゐない実験室(ラボ) 喜多昭夫
こうやって列叙法の短歌を〈列叙〉してみるとわかってくることですが、どの短歌もことばが並列され、しかし違いをめいめいにもちながらも繰り返されていくことによって、おたがいがおたがいに関係しあいながらも、関係しあえないひとつのそれぞれのことばとして働いているのがわかります。
たとえば、林あまりさんの短歌なら、「波が波の波を波にして」と〈波〉で関係しあいながらも、「波が夕暮れる」「波の夕暮れる」「波を夕暮れる」とそれぞれに細かい波のニュアンスや表情があるわけです。それは、リフレインされたからといってひとくくりにくくれるものではないですが、しかしリフレインすることによってその場かぎりの関係性をつないでいく。
だから、安福さんの絵をみてわたしがたしかなかたちでひとつだけいえることはこういうことではないかとおもうのです。
羊が羊の羊を羊にしているが、しかし羊におなじ羊は一匹たりともいないんだ、と。
新聞がきょうもきてないこの朝に戦車のような羊の群れが 柳本々々
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