【感想】とうきようの夜更の街の電柱に体あづけてあきらめている 山崎方代
- 2015/05/28
- 07:13
とうきようの夜更の街の電柱に体あづけてあきらめている 山崎方代
【表現し続けるためのたったひとつの秘密】
これはふしぎな短歌だとおもうんです。
ある意味で、もしこんなことをあえていってしまうならば、2ちゃんねる的な短歌だともおもうんですね。
方代さんなのに2ちゃんねる的とは、どういうことなのか。
2ちゃんねる的な言説というのは、アイロニーな言説です。
たとえば、なにかを言ったとします。でもそのなにかを言っているじぶんを実はそんなには信じていない。すぐに反転できる意見としてそれをもっている。ベタな発言としてやっているわけではなくて、ネタとしてやっているし、メタとしてじぶんのことばを俯瞰してみることもできる。それがアイロニカルな態度だとおもうんです。
そういったけれど、そうおもってない。皮肉とはそういった逆説的な場所です。
で、方代さんの短歌なのですが、語り手は「あきらめている」と結句で語っています。
ただ〈ほんとうにあきらめている〉のかが、この短歌でじつは問われているのではないかとおもうんです。
「とうきようの夜更の街の電柱に体」と、「とうきよう」からの面としての俯瞰的な視点からどんどんみずからの体としての点にピントをあわせていくのがこの短歌のベクトルです。語り手はすくなくともそういう俯瞰的な視点をもちあわせている人物です。
ほんとうにあきらめるなら、〈眼の前の風景〉しかみえないとおもうのです。あるいは地面とか。
ところがハリウッド映画のオープニングのように広大な視野からひとつの視点へとせばまってゆく、映画的風景からの〈あきらめ〉がこの短歌です。実は視点としてはすごくアクティヴで〈いきいき〉しているのではないかとおもうのです。
だから、このひとは、まだ〈語る〉ことをあきらめてはいないのだと。
あきらめたと語りながらも、それを語る行為そのものはいまだきらめてはいないのだと。
アイザック・ディーネセンはこう言った。私は、希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます、と。いつか私はその言葉を小さなカードに書いて、机の横の壁に貼っておこうと思う。
カーヴァー『ファイアズ』
ものを書くというプロセスの核心にたとえどのような暗黒の謎がひそんでいようとも、そこにはただひとつの企業秘密があるだけだとカーヴァーは声を大にして言った。それは、君は生きのびなくてはならないということなのだ。
ジェイ・マキナニー「その静かな、小さな声」
ベケットの人物たちにとっては、語り続けることは生き続けることと同義なのである。
武田はるか『言語文化32』
【表現し続けるためのたったひとつの秘密】
これはふしぎな短歌だとおもうんです。
ある意味で、もしこんなことをあえていってしまうならば、2ちゃんねる的な短歌だともおもうんですね。
方代さんなのに2ちゃんねる的とは、どういうことなのか。
2ちゃんねる的な言説というのは、アイロニーな言説です。
たとえば、なにかを言ったとします。でもそのなにかを言っているじぶんを実はそんなには信じていない。すぐに反転できる意見としてそれをもっている。ベタな発言としてやっているわけではなくて、ネタとしてやっているし、メタとしてじぶんのことばを俯瞰してみることもできる。それがアイロニカルな態度だとおもうんです。
そういったけれど、そうおもってない。皮肉とはそういった逆説的な場所です。
で、方代さんの短歌なのですが、語り手は「あきらめている」と結句で語っています。
ただ〈ほんとうにあきらめている〉のかが、この短歌でじつは問われているのではないかとおもうんです。
「とうきようの夜更の街の電柱に体」と、「とうきよう」からの面としての俯瞰的な視点からどんどんみずからの体としての点にピントをあわせていくのがこの短歌のベクトルです。語り手はすくなくともそういう俯瞰的な視点をもちあわせている人物です。
ほんとうにあきらめるなら、〈眼の前の風景〉しかみえないとおもうのです。あるいは地面とか。
ところがハリウッド映画のオープニングのように広大な視野からひとつの視点へとせばまってゆく、映画的風景からの〈あきらめ〉がこの短歌です。実は視点としてはすごくアクティヴで〈いきいき〉しているのではないかとおもうのです。
だから、このひとは、まだ〈語る〉ことをあきらめてはいないのだと。
あきらめたと語りながらも、それを語る行為そのものはいまだきらめてはいないのだと。
アイザック・ディーネセンはこう言った。私は、希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます、と。いつか私はその言葉を小さなカードに書いて、机の横の壁に貼っておこうと思う。
カーヴァー『ファイアズ』
ものを書くというプロセスの核心にたとえどのような暗黒の謎がひそんでいようとも、そこにはただひとつの企業秘密があるだけだとカーヴァーは声を大にして言った。それは、君は生きのびなくてはならないということなのだ。
ジェイ・マキナニー「その静かな、小さな声」
ベケットの人物たちにとっては、語り続けることは生き続けることと同義なのである。
武田はるか『言語文化32』
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