【感想】ぶどうパンのぶどうまつ黒古事記読む 四ッ谷龍
- 2015/05/29
- 12:00
ぶどうパンのぶどうまつ黒古事記読む 四ッ谷龍
【ぶどうパンのぶどうとは、なんだったのか】
『俳句研究』1990年3月号の四ッ谷龍さんの「冬の蝸牛」からの一句です。
わたしもぶどうパンの歌をつくったことがあるんですがそのときに石川啄木とアレンジしたんですね。
働けど働けど別に手も見ないパンのレーズンじっとみつめる 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2015年1月12日)
で、それは啄木はじっとてのひらをみていたけれど、わたしはレーズンをみているといった歌だったんですが、この四ッ谷さんの句がおもしろいのは、「ぶどう」がこんどは『古事記』につながっていっているところなんです。
で、もっと正しくいうと、「古事記読む」なので、『古事記』を〈読む〉という読書行為にぶどうがつながっていってる。
じゃあ、なぜ、ぶどうパンのぶどうは、かつての〈古典〉へとアクセスさせるのか、っていうのが問題になるようなきがするんです。
で、それはぶどうの形状・形質からきているのではないか。
ぶどうパンのぶどうっていうなれば、〈ひからびてる〉わけですよね。ひからびているんだけれど・でもそれは干してあるやつだから・濃厚なわけです。
ことばを変えてみます。
干しぶどうは、時間性は剥奪されているんですが、その剥奪されたぶん、コンテンツは濃厚になっているわけです。
これってなにかというとまさしく〈古典〉なのではないかと。
山城むつみさんがこんなことをいっています。
古典を読むとは、取り返しのつかない時間の厚みをますます露呈していくことである 山城むつみ『文学のプログラム』
〈古典〉っていうのは実は〈時間〉をめぐるテクストとの、コンテンツとのひとつの向き合い方=ふるまいだったのではないかとおもうんですね。
だから、たとえばハンバーグだったら、それはないわけです。できたてで、てらてらですから。
桔梗や皿にてらてらハンバーグ 四ッ谷龍
【ぶどうパンのぶどうとは、なんだったのか】
『俳句研究』1990年3月号の四ッ谷龍さんの「冬の蝸牛」からの一句です。
わたしもぶどうパンの歌をつくったことがあるんですがそのときに石川啄木とアレンジしたんですね。
働けど働けど別に手も見ないパンのレーズンじっとみつめる 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2015年1月12日)
で、それは啄木はじっとてのひらをみていたけれど、わたしはレーズンをみているといった歌だったんですが、この四ッ谷さんの句がおもしろいのは、「ぶどう」がこんどは『古事記』につながっていっているところなんです。
で、もっと正しくいうと、「古事記読む」なので、『古事記』を〈読む〉という読書行為にぶどうがつながっていってる。
じゃあ、なぜ、ぶどうパンのぶどうは、かつての〈古典〉へとアクセスさせるのか、っていうのが問題になるようなきがするんです。
で、それはぶどうの形状・形質からきているのではないか。
ぶどうパンのぶどうっていうなれば、〈ひからびてる〉わけですよね。ひからびているんだけれど・でもそれは干してあるやつだから・濃厚なわけです。
ことばを変えてみます。
干しぶどうは、時間性は剥奪されているんですが、その剥奪されたぶん、コンテンツは濃厚になっているわけです。
これってなにかというとまさしく〈古典〉なのではないかと。
山城むつみさんがこんなことをいっています。
古典を読むとは、取り返しのつかない時間の厚みをますます露呈していくことである 山城むつみ『文学のプログラム』
〈古典〉っていうのは実は〈時間〉をめぐるテクストとの、コンテンツとのひとつの向き合い方=ふるまいだったのではないかとおもうんですね。
だから、たとえばハンバーグだったら、それはないわけです。できたてで、てらてらですから。
桔梗や皿にてらてらハンバーグ 四ッ谷龍
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