【あとがき】文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』のあとがき。
- 2015/05/29
- 15:22
“あこがれ”が「何となく」かたちになってしまうのを感じるとき、そこから一歩後ずさることが、私の自然である。
……私はいつだって、この世界とフェアでありたかったのだ。そのことが、かえって自分をあぶれさせると気づいたときも、言葉ではない“詩”に何度も振り向かされた。
そんな私にとって、“詩”とは、紙に整列する活字ではなく、日常の中で心や身体に起きる、生きた“現象”である。だから、“詩”を遠ざけながらも、それを「目撃したい」と思っている方々に向けて、この詩集を編んだように思う。
文月悠光「あとがき」『適切な世界の適切ならざる私』
……私はいつだって、この世界とフェアでありたかったのだ。そのことが、かえって自分をあぶれさせると気づいたときも、言葉ではない“詩”に何度も振り向かされた。
そんな私にとって、“詩”とは、紙に整列する活字ではなく、日常の中で心や身体に起きる、生きた“現象”である。だから、“詩”を遠ざけながらも、それを「目撃したい」と思っている方々に向けて、この詩集を編んだように思う。
文月悠光「あとがき」『適切な世界の適切ならざる私』
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