【感想】ザ噴水やるときはやるときもある 中原幸子
- 2015/06/01
- 06:15
ザ噴水やるときはやるときもある 中原幸子
【ザ感想文】
ザがついています。
ひとはなぜ、ザをつけるのか。
ひとはどんなときにザをつけるのか。
中原さんのこんな句もあわせて読んでみましょう。
漱石忌わたしも遺族だと思う 中原幸子
思うっていわれても、なんですよ。
ただ否定はできないんですよ。
「思う」っていわれたら、否定はできない。
ザ遺族。
これもある意味、ザなんですよ。
ザ遺族、なんですよ。
ザっていうのは、The(その!)なんです。
「その!」だぞ、っていう。
あなたはちがうっていうかもしれないけれど、「その!」だよっていう。これしかありえないんだよっていう。特定できたんだよ、わたしには、という。
それが、「ザ」なんです。
ザ父、っていったら、これがわたしのお父さんなんだぞ!ってすごんできてるわけです。
だから、「ザ」ってある意味、わたしの〈えらびとろうとする〉実存のありかたなんじゃないかとおもうんです。
ザ・台所、っていったとき、吉本ばなな的キッチンなわたしだけの台所があらわれるわけです。
ザ・恋人でもいいし、ザ・Tシャツでもいいし、ザ・俺でも、いい。ザ新潟県、とかでもいいわけです。ザねりごま、とか。
あとですね、この噴水の句の積極的消極性にも注目したいとおもいます。「ザ」と積極的にはじまっているんですが「やるときはやるとき《も》ある」と実は《弱気》なんですね。
噴水をおもいだしてみるとわかるんですが、いきおいよくほとばしったかとおもうと、きゅうにゆるゆるってなったりしますよね。「やるとき」という積極性からの「も」という助詞のゆるさ。それもまた「ザ噴水」にかかっていておもしろい句だと《も》おもいます(←わたしもよくこの《も》をつかうんです。よわきなので)。
そしてわたし《も》遺族だとおもいます(←こんどは消極的積極性の《も》)。
こんなふうに消極的積極性にも使えるのが〈も〉です。
わ、わたしだって、わたし〈も〉そうなんだぞ!とすごむ。むこんきょに。
漱石忌わたしも遺族だと思う 中原幸子
ザ漱石。
【ザ感想文】
ザがついています。
ひとはなぜ、ザをつけるのか。
ひとはどんなときにザをつけるのか。
中原さんのこんな句もあわせて読んでみましょう。
漱石忌わたしも遺族だと思う 中原幸子
思うっていわれても、なんですよ。
ただ否定はできないんですよ。
「思う」っていわれたら、否定はできない。
ザ遺族。
これもある意味、ザなんですよ。
ザ遺族、なんですよ。
ザっていうのは、The(その!)なんです。
「その!」だぞ、っていう。
あなたはちがうっていうかもしれないけれど、「その!」だよっていう。これしかありえないんだよっていう。特定できたんだよ、わたしには、という。
それが、「ザ」なんです。
ザ父、っていったら、これがわたしのお父さんなんだぞ!ってすごんできてるわけです。
だから、「ザ」ってある意味、わたしの〈えらびとろうとする〉実存のありかたなんじゃないかとおもうんです。
ザ・台所、っていったとき、吉本ばなな的キッチンなわたしだけの台所があらわれるわけです。
ザ・恋人でもいいし、ザ・Tシャツでもいいし、ザ・俺でも、いい。ザ新潟県、とかでもいいわけです。ザねりごま、とか。
あとですね、この噴水の句の積極的消極性にも注目したいとおもいます。「ザ」と積極的にはじまっているんですが「やるときはやるとき《も》ある」と実は《弱気》なんですね。
噴水をおもいだしてみるとわかるんですが、いきおいよくほとばしったかとおもうと、きゅうにゆるゆるってなったりしますよね。「やるとき」という積極性からの「も」という助詞のゆるさ。それもまた「ザ噴水」にかかっていておもしろい句だと《も》おもいます(←わたしもよくこの《も》をつかうんです。よわきなので)。
そしてわたし《も》遺族だとおもいます(←こんどは消極的積極性の《も》)。
こんなふうに消極的積極性にも使えるのが〈も〉です。
わ、わたしだって、わたし〈も〉そうなんだぞ!とすごむ。むこんきょに。
漱石忌わたしも遺族だと思う 中原幸子
ザ漱石。
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