【あとがき】篠弘『近代短歌史』のあとがき
- 2015/06/02
- 06:33
去年のぼくのワイシャツは見苦しかったにちがいない。袖口の白はいつも灰色だった。明治・大正・昭和という半世紀にわたっての古新聞の積みかさねのなかで、選歌欄をノートしながら一枚一枚めくっていたのだ。おびただしい新聞紙数と枚数──春から夏、夏から秋にかけて、夜になると暗いホコリのなかでぼくはこの作業をつづけた。
新聞選歌欄のうちでぼくが最初にノートしたのは啄木のものである。明治四十三年「東京朝日新聞」を、たしか母校の早稲田の図書館で見いだした。…「たぶん啄木は、選歌をはじめながら、むしろだいぶ教えられたのではないかね」という、師の土岐善麿の受話器のなかの声をいくども思いだし、自分たちの仲間の作品を整理するときのような気持でうつしとっていた。啄木の選歌欄をみるかぎり、けっして明治という時代が遠くないのである。いろいろ歌壇の表面づらはうつりかわったようで、近代短歌の構造はたいして変化してない。
篠弘『近代短歌史』
新聞選歌欄のうちでぼくが最初にノートしたのは啄木のものである。明治四十三年「東京朝日新聞」を、たしか母校の早稲田の図書館で見いだした。…「たぶん啄木は、選歌をはじめながら、むしろだいぶ教えられたのではないかね」という、師の土岐善麿の受話器のなかの声をいくども思いだし、自分たちの仲間の作品を整理するときのような気持でうつしとっていた。啄木の選歌欄をみるかぎり、けっして明治という時代が遠くないのである。いろいろ歌壇の表面づらはうつりかわったようで、近代短歌の構造はたいして変化してない。
篠弘『近代短歌史』
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:詩・ことば
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:あとがき選集