【感想】(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道 雪舟えま
- 2014/05/30
- 08:19
(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道 雪舟えま
【成長しない自転車と、燃える短歌の系譜】
雪舟さんのこの短歌の「燃える」という部分に注目してみたいと思います。
「燃える」という事象が短歌で扱われる際にそこには語り手が抱く〈ストップ〉もともにうたわれることになるようにおもいます。
たとえば上の歌ならば、「(自転車は成長しない)」という語り手の意識です。「(自転車は成長しない)」とう意識はふだんはあえて発現しない意識です。なぜなら誰もが「自転車は成長しない」ことを知っているからです。ところがあえてここで語り手が発話していることによって意味がでてきています。語り手が「わたしだけ」と「だけ」という限定の副助詞を使っているようにおさえきれずとめどない「わたし」に語り手自身が成長しない自転車と対比するようなかたちで気づいてしまっているからです。しかしその瞬間に、坂道は燃えてしまっています。自転車で滑走することが可能な坂道が「燃える」ことによって機能不全に陥っています。
このうたっていうのはまとめてみると、自転車が成長する/しないという自転車をあたかも生態のようにとらえていた語り手が、自転車が成長しないことにきづく歌、しかしそのきづきこそが「わたしだけ」成長する世界であり、そのきづきによって「燃える坂道」のような不可逆の道がでてきてしまっているのではないかとおもうのです。「わたしだけめくれあがって」というのは、わたしがきづきによって〈反転〉したことを意味しているんだとおもうんですね。それまでの、これまでとはちがったわたしを生きなければならない。だから自転車で坂道を滑走するにしてもそれはもう「燃える坂道」のようにきづいてしまった語り手にとっては「傷み」をともなうんじゃないかなとおもうんです。でもその「傷み」もまた成長とむすびついています。
というふうに、わたしはこのうたは、語り手のきづきによる〈傷み〉のうたなんじゃないかなとおもいました。自転車は語り手のようにきづくことはしません。だから自転車は成長しません。しかし、語り手はある瞬間にきづきます。語り手は成長しているから。成長は世界観がめくれあがるように変わることです。「わたしだけ」が変わっていくことです。「燃える坂道」のように不可逆の道を背負うことです。
ここですこし視点をかえて、燃える短歌の系譜を恣意的にあげてみたいとおもいます。
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊
好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ 東直子
「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士 穂村弘
電車って燃えつきながら走るから見送るだけで今日はいいんだ 山崎聡子
うえにあげた歌をみてみると、「燃える」ということが語り手のなんらかのかかえざるをえない〈ストップ〉と関連していることがみえるようにおもいます。たとえば穂村さんのうたも〈ストップ〉と関係なさそうですが、宇宙飛行士が「凍る」か「燃える」か占っているのか、じぶんのこれからの宇宙における身体としてのきえる命のこと。つまり、死に方のことじゃないかとおもうんですね。
ただひとつきづくのは、「燃える」ということはなにかを喪うことでもあるんですが、しかしそれは代償としての「燃える」、語り手にとっては切実な、関わりのふかい、ひとごとではない、「見送るだけ」の「なしとげられぬことのため」の〈諦念〉としての「燃える」なのではないかということです。そういう意味では、「燃える」とは語り手にとっての「傷み」でもあり、次の段階をふむための「成長痛」ではないかとおもうのです。
ではなく雪は燃えるもの・ハッピー・バースデイ・あなたも傘も似たようなもの 瀬戸夏子
【成長しない自転車と、燃える短歌の系譜】
雪舟さんのこの短歌の「燃える」という部分に注目してみたいと思います。
「燃える」という事象が短歌で扱われる際にそこには語り手が抱く〈ストップ〉もともにうたわれることになるようにおもいます。
たとえば上の歌ならば、「(自転車は成長しない)」という語り手の意識です。「(自転車は成長しない)」とう意識はふだんはあえて発現しない意識です。なぜなら誰もが「自転車は成長しない」ことを知っているからです。ところがあえてここで語り手が発話していることによって意味がでてきています。語り手が「わたしだけ」と「だけ」という限定の副助詞を使っているようにおさえきれずとめどない「わたし」に語り手自身が成長しない自転車と対比するようなかたちで気づいてしまっているからです。しかしその瞬間に、坂道は燃えてしまっています。自転車で滑走することが可能な坂道が「燃える」ことによって機能不全に陥っています。
このうたっていうのはまとめてみると、自転車が成長する/しないという自転車をあたかも生態のようにとらえていた語り手が、自転車が成長しないことにきづく歌、しかしそのきづきこそが「わたしだけ」成長する世界であり、そのきづきによって「燃える坂道」のような不可逆の道がでてきてしまっているのではないかとおもうのです。「わたしだけめくれあがって」というのは、わたしがきづきによって〈反転〉したことを意味しているんだとおもうんですね。それまでの、これまでとはちがったわたしを生きなければならない。だから自転車で坂道を滑走するにしてもそれはもう「燃える坂道」のようにきづいてしまった語り手にとっては「傷み」をともなうんじゃないかなとおもうんです。でもその「傷み」もまた成長とむすびついています。
というふうに、わたしはこのうたは、語り手のきづきによる〈傷み〉のうたなんじゃないかなとおもいました。自転車は語り手のようにきづくことはしません。だから自転車は成長しません。しかし、語り手はある瞬間にきづきます。語り手は成長しているから。成長は世界観がめくれあがるように変わることです。「わたしだけ」が変わっていくことです。「燃える坂道」のように不可逆の道を背負うことです。
ここですこし視点をかえて、燃える短歌の系譜を恣意的にあげてみたいとおもいます。
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊
好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ 東直子
「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士 穂村弘
電車って燃えつきながら走るから見送るだけで今日はいいんだ 山崎聡子
うえにあげた歌をみてみると、「燃える」ということが語り手のなんらかのかかえざるをえない〈ストップ〉と関連していることがみえるようにおもいます。たとえば穂村さんのうたも〈ストップ〉と関係なさそうですが、宇宙飛行士が「凍る」か「燃える」か占っているのか、じぶんのこれからの宇宙における身体としてのきえる命のこと。つまり、死に方のことじゃないかとおもうんですね。
ただひとつきづくのは、「燃える」ということはなにかを喪うことでもあるんですが、しかしそれは代償としての「燃える」、語り手にとっては切実な、関わりのふかい、ひとごとではない、「見送るだけ」の「なしとげられぬことのため」の〈諦念〉としての「燃える」なのではないかということです。そういう意味では、「燃える」とは語り手にとっての「傷み」でもあり、次の段階をふむための「成長痛」ではないかとおもうのです。
ではなく雪は燃えるもの・ハッピー・バースデイ・あなたも傘も似たようなもの 瀬戸夏子
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