【感想】ともだちになろう小銭が少しある 角田古錐
- 2015/06/07
- 17:34
ともだちになろう小銭が少しある 角田古錐
【遅れるこころ、はやすぎることば】
古錐さんの『北の変奏曲』からの一句です。
さいきん〈恋する川柳〉、〈恋愛をめぐる川柳〉ってなんだろうっていうのを考えていて、で、ひとつは川柳は17音なので、川柳側に恋愛事情があるというよりは、どのような〈読みの枠組み〉を採用するかという〈読み〉の方にたぶん〈恋愛事情〉があるんですね。
だから、ある川柳を読んだときに、じぶんがぱっと現在のじぶんの恋愛観をかんがえたり、過去の恋愛に思いをめぐらしたりすればそれは〈恋する川柳〉だということができるんじゃないかとおもいます。
それはなぜかといえば、たぶん〈恋愛〉のかたちがいろいろあるからだともおもうんですよね。
〈こういう恋愛〉があるといったときに、まったく逆の〈こうでない恋愛〉もある。
恋愛はパターンや形式じゃなくて、〈これが恋愛になってしまった〉といういつも構造的に遅れてやってくるしかない、遅れて気づくしかないものが〈恋愛〉であるような気がするんです。
だからちょっともしかするとそれは定型詩に似ている。
川柳になってしまった、これしかありえなかった、というかたちで(破調も含めた)川柳がやってくるようなきがするんです。
どうしてこれが川柳なんだろうというふしぎな、それでいて魅力的な川柳をみることがありますが、たぶんそれは結果として川柳になってしまった、ならざるをえなくなったという〈遅れたかたち〉でやってきたんじゃないかとおもうんです。
たとえば漱石の『こころ』って〈遅れる小説〉なんじゃないかとおもっていて、きづいたときには相手がもう死んでいて〈遅れている〉んです。その〈遅れ〉をひとは〈こころ〉というしかないような気もするんですが、それは川柳にもいえるんじゃないか、きがついたら川柳だったけれど、でもそれが川柳のジャンルにはまってしまっていた、成立してしまっていた、そんなふうに新しい川柳ができていく気もするんです。
で、すごく長い遠回りをして古錐さんの句なのですが、この句はたぶん「ともだちになろう」とさきに〈言ってしまった〉句だとおもうんです。理由や根拠や説明よりなにより〈ともだちにな〉りたかったから「ともだちになろう」といってしまった。
だから「小銭が少しある」と説明を足しのだけれども、でも少しある小銭がかんがえてみれば「ともだちにな」ることにつながるかどうかはわからない。
これが〈遅れ〉だとおもうんです。いわば説明や根拠にならないようなことでも、でも、さきにやってしまって、発話してしまって、あとからそれが〈遅れ〉として説明せざるをえないような事態に身をおくこと、それが〈恋愛〉なんじゃないかなとも、おもうんです。
だから、〈遅れて〉説明する。「小銭が少しある」。
でも、ほんとうは「ともだちになろう」が「ともだちになろう」の理由だとおもうんです。
たぶん恋愛をめぐる〈好き〉の理由も〈好き〉が理由にしかならざるをえないから。でもひとはそれを認めたくなくて、説明や理由をさがしているうちに〈遅れ〉ざるをえないから。
みんな生きてる物凄い音たてて 角田古錐
【遅れるこころ、はやすぎることば】
古錐さんの『北の変奏曲』からの一句です。
さいきん〈恋する川柳〉、〈恋愛をめぐる川柳〉ってなんだろうっていうのを考えていて、で、ひとつは川柳は17音なので、川柳側に恋愛事情があるというよりは、どのような〈読みの枠組み〉を採用するかという〈読み〉の方にたぶん〈恋愛事情〉があるんですね。
だから、ある川柳を読んだときに、じぶんがぱっと現在のじぶんの恋愛観をかんがえたり、過去の恋愛に思いをめぐらしたりすればそれは〈恋する川柳〉だということができるんじゃないかとおもいます。
それはなぜかといえば、たぶん〈恋愛〉のかたちがいろいろあるからだともおもうんですよね。
〈こういう恋愛〉があるといったときに、まったく逆の〈こうでない恋愛〉もある。
恋愛はパターンや形式じゃなくて、〈これが恋愛になってしまった〉といういつも構造的に遅れてやってくるしかない、遅れて気づくしかないものが〈恋愛〉であるような気がするんです。
だからちょっともしかするとそれは定型詩に似ている。
川柳になってしまった、これしかありえなかった、というかたちで(破調も含めた)川柳がやってくるようなきがするんです。
どうしてこれが川柳なんだろうというふしぎな、それでいて魅力的な川柳をみることがありますが、たぶんそれは結果として川柳になってしまった、ならざるをえなくなったという〈遅れたかたち〉でやってきたんじゃないかとおもうんです。
たとえば漱石の『こころ』って〈遅れる小説〉なんじゃないかとおもっていて、きづいたときには相手がもう死んでいて〈遅れている〉んです。その〈遅れ〉をひとは〈こころ〉というしかないような気もするんですが、それは川柳にもいえるんじゃないか、きがついたら川柳だったけれど、でもそれが川柳のジャンルにはまってしまっていた、成立してしまっていた、そんなふうに新しい川柳ができていく気もするんです。
で、すごく長い遠回りをして古錐さんの句なのですが、この句はたぶん「ともだちになろう」とさきに〈言ってしまった〉句だとおもうんです。理由や根拠や説明よりなにより〈ともだちにな〉りたかったから「ともだちになろう」といってしまった。
だから「小銭が少しある」と説明を足しのだけれども、でも少しある小銭がかんがえてみれば「ともだちにな」ることにつながるかどうかはわからない。
これが〈遅れ〉だとおもうんです。いわば説明や根拠にならないようなことでも、でも、さきにやってしまって、発話してしまって、あとからそれが〈遅れ〉として説明せざるをえないような事態に身をおくこと、それが〈恋愛〉なんじゃないかなとも、おもうんです。
だから、〈遅れて〉説明する。「小銭が少しある」。
でも、ほんとうは「ともだちになろう」が「ともだちになろう」の理由だとおもうんです。
たぶん恋愛をめぐる〈好き〉の理由も〈好き〉が理由にしかならざるをえないから。でもひとはそれを認めたくなくて、説明や理由をさがしているうちに〈遅れ〉ざるをえないから。
みんな生きてる物凄い音たてて 角田古錐
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