【こわい川柳 第十八話】ことばにはならないものが茹で上がる 佐藤幸子
- 2015/06/10
- 12:06
ことばにはならないものが茹で上がる 佐藤幸子
【ことばを、ゆでる】
佐藤幸子さんの『句集 ブリキの夜汽車』からの一句です。
〈茹でる〉ってかんがえてみると、〈こわい行為〉だとおもうんですよね。
まず時間をかけるわけですよね。時間をかけて熱量を与えて、動物の身体や物質を破壊し、崩壊に導いていくわけです。いっしゅん、じゃなくて、ひじょうに時間をかけて、ゆっくりとほろぼしていく。それが〈ゆでる〉です。
もうひとつこわいのが、〈ゆでる〉って実はオカルト的というか、熱湯のなかですから、なにが・どうして・そうなっていくのか、というところはよくわからないところがある。
この「茹で上がる」っていう言葉遣いに注意したいんです。自動詞なんです。~を〈ゆでる〉じゃない。だから、かってに「茹で上がる」んです。〈わたし〉もゆでている主体になれない。それも、こわいんです。
で、さらにこわいところあります。「ことばにはならないもの」が「茹で上が」っているんです。
「ことばにはならないもの」を「ことばにはならないもの」として「ことばに」してしまうくらいに、それは「ことばにはならないもの」なんです。
茹でる、というのは、状態変化です。でも、どのように状態変化するのか、確実なことはたぶん、だれにもわからない。茹でるは、こわい。茹で上がるは、もっとこわい。
川上弘美の『椰子椰子』のラストで失恋して気絶したおんなのこが、たこを煮て(茹でて)いるんです。
たぶん、そのおんなのこも、たこではなく、「ことばにはならないもの」を茹でているんだとおもうんです。
「ことば」にしたくて。でも茹でても茹でても「ことば」にならない、なりえない、なりえなかった、なりえないまま抱えていくしかない、〈なにか〉を。
長い間の片思いのひとから、「好きなひとができました。これから一生そのひととしあわせに暮らします」
という葉書がきた。泣きながら、いちにち花の種を蒔いた。途中少しの間気を失い、それからいくらか元気が出たので、夕飯には蛸を煮た。
川上弘美『椰子・椰子』
【ことばを、ゆでる】
佐藤幸子さんの『句集 ブリキの夜汽車』からの一句です。
〈茹でる〉ってかんがえてみると、〈こわい行為〉だとおもうんですよね。
まず時間をかけるわけですよね。時間をかけて熱量を与えて、動物の身体や物質を破壊し、崩壊に導いていくわけです。いっしゅん、じゃなくて、ひじょうに時間をかけて、ゆっくりとほろぼしていく。それが〈ゆでる〉です。
もうひとつこわいのが、〈ゆでる〉って実はオカルト的というか、熱湯のなかですから、なにが・どうして・そうなっていくのか、というところはよくわからないところがある。
この「茹で上がる」っていう言葉遣いに注意したいんです。自動詞なんです。~を〈ゆでる〉じゃない。だから、かってに「茹で上がる」んです。〈わたし〉もゆでている主体になれない。それも、こわいんです。
で、さらにこわいところあります。「ことばにはならないもの」が「茹で上が」っているんです。
「ことばにはならないもの」を「ことばにはならないもの」として「ことばに」してしまうくらいに、それは「ことばにはならないもの」なんです。
茹でる、というのは、状態変化です。でも、どのように状態変化するのか、確実なことはたぶん、だれにもわからない。茹でるは、こわい。茹で上がるは、もっとこわい。
川上弘美の『椰子椰子』のラストで失恋して気絶したおんなのこが、たこを煮て(茹でて)いるんです。
たぶん、そのおんなのこも、たこではなく、「ことばにはならないもの」を茹でているんだとおもうんです。
「ことば」にしたくて。でも茹でても茹でても「ことば」にならない、なりえない、なりえなかった、なりえないまま抱えていくしかない、〈なにか〉を。
長い間の片思いのひとから、「好きなひとができました。これから一生そのひととしあわせに暮らします」
という葉書がきた。泣きながら、いちにち花の種を蒔いた。途中少しの間気を失い、それからいくらか元気が出たので、夕飯には蛸を煮た。
川上弘美『椰子・椰子』
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