【こわい川柳 第十九話】踵やら肘やら夜の裂けめから 八上桐子
- 2015/06/11
- 12:10
踵やら肘やら夜の裂けめから 八上桐子
【ばらばらなからだ、ばらばら降ってくるわたし】
柳誌『So』4号の八上桐子さんの「命日」からの一句です。
川柳のなかでは基本的に身体は〈ばらばら〉から始まる、精神分析学のラカン的ないいかたをすれば、幼少期のまだ〈鏡〉をみて像が結ぶことができていないような、ばらばらの、散乱した主体が、川柳の主体なんだってことがいえるようにおもいます。
たとえば、幼児は〈鏡〉のなかのじぶんをみて、そこで、「ああじぶんってこんなに統一したイメージの主体なんだな」って思い、主体化していくわけですが、川柳はどういうわけかその〈鏡〉をうしなっているわけです。
ただこのばらばらな身体は八上さんの川柳のなかでもひとつのテーマとして流れているものなのかもしれないなともおもっています。
わたしがいちばん最初に八上さんの句の感想を書かせていただいたいのが、
紫陽花へ向く六月の頭蓋骨 八上桐子
だったと思うんですが、これもですね、ある意味、〈全身〉というイメージを、〈鏡〉にうつせるじぶんのイメージをうしなってしまったひとなんです。
鏡に映しても頭蓋骨はみえませんよね。でもこの語り手は〈頭蓋骨〉から知覚する世界を描いている。
掲句にもどりましょう。
「踵」や「肘」が「夜の裂けめから」降ってきています。ここで「やら」という助辞に注目しましょう。「やら」がおそらく〈こわさ〉をひきたてている。
たとえば、森からくまやらうさぎやらが出てきている、といった場合、この「やら」は〈あいまいさ〉をあらわします。もしかすると、くまじゃないかもしれないし、うさぎじゃないかもしれない。でもそんなかんじのものどもが出てきている、ということです。確定はできない。不定の記述なんです。
ですから、「踵」かもしれないし、「肘」かもしれない。わからない。でもそんなかんじのものがばらばら夜の裂けめからおちてきている。たぶんたくさん。
この連作のタイトルは「命日」でした。〈だれ〉の命日なのか。AやらBやらの「命日」なのかもしれない。あるいは、こんな〈風景〉をみてしまっている語り手じしんの〈わたくし〉の〈命日〉なのかもしれないし。
そこなのね私のおいしいところ 八上桐子
【ばらばらなからだ、ばらばら降ってくるわたし】
柳誌『So』4号の八上桐子さんの「命日」からの一句です。
川柳のなかでは基本的に身体は〈ばらばら〉から始まる、精神分析学のラカン的ないいかたをすれば、幼少期のまだ〈鏡〉をみて像が結ぶことができていないような、ばらばらの、散乱した主体が、川柳の主体なんだってことがいえるようにおもいます。
たとえば、幼児は〈鏡〉のなかのじぶんをみて、そこで、「ああじぶんってこんなに統一したイメージの主体なんだな」って思い、主体化していくわけですが、川柳はどういうわけかその〈鏡〉をうしなっているわけです。
ただこのばらばらな身体は八上さんの川柳のなかでもひとつのテーマとして流れているものなのかもしれないなともおもっています。
わたしがいちばん最初に八上さんの句の感想を書かせていただいたいのが、
紫陽花へ向く六月の頭蓋骨 八上桐子
だったと思うんですが、これもですね、ある意味、〈全身〉というイメージを、〈鏡〉にうつせるじぶんのイメージをうしなってしまったひとなんです。
鏡に映しても頭蓋骨はみえませんよね。でもこの語り手は〈頭蓋骨〉から知覚する世界を描いている。
掲句にもどりましょう。
「踵」や「肘」が「夜の裂けめから」降ってきています。ここで「やら」という助辞に注目しましょう。「やら」がおそらく〈こわさ〉をひきたてている。
たとえば、森からくまやらうさぎやらが出てきている、といった場合、この「やら」は〈あいまいさ〉をあらわします。もしかすると、くまじゃないかもしれないし、うさぎじゃないかもしれない。でもそんなかんじのものどもが出てきている、ということです。確定はできない。不定の記述なんです。
ですから、「踵」かもしれないし、「肘」かもしれない。わからない。でもそんなかんじのものがばらばら夜の裂けめからおちてきている。たぶんたくさん。
この連作のタイトルは「命日」でした。〈だれ〉の命日なのか。AやらBやらの「命日」なのかもしれない。あるいは、こんな〈風景〉をみてしまっている語り手じしんの〈わたくし〉の〈命日〉なのかもしれないし。
そこなのね私のおいしいところ 八上桐子
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