【こわい川柳 第二十話】人間か鳥の声かもわからない ひとり静
- 2015/06/11
- 12:31
人間か鳥の声かもわからない ひとり静
【その形、腰より下は血に染みて、その声、をばれう、をばれうと鳴くと申しならはせり】
『おかじょうき』2015年6月号からひとり静さんの一句です。
この〈こわい川柳〉という枠組みで川柳をあらためて考えはじめてわかってきたことなんですが、川柳においては前の記事でも書いたように〈からだがこわい〉、そしてもうひとつ〈鳥がこわい〉。それがいえるんじゃないいかとおもうんです。
じゃあ、〈からだ〉と〈鳥〉の共通点はなにか。あえて、かんがえてみれば。
そうすると〈からだ〉と〈鳥〉っていうのは、実はヒトとヒトでないものの不分明な、あわいの領域にいるところなのではないかとおもうんです。
たとえば、右手も髪の毛もくるぶしも肌も細胞もわたしの〈身体〉ではあるけれど、髪の毛は抜け・分離したとたん、ごみになります。右手だって、しびれてしまえば、まるで〈棒きれ〉のような感覚として、〈他者〉としてわたしの目の前にぽんと置かれる。
鳥もそうです。〈うぶめ〉という、赤ん坊を抱いた鳥の妖怪がいますが、そういった妖怪に形象化されるように、鳥はヒトとヒトでないものをいったりきたりしている。女性の顔をもった人面怪鳥ハルピュイア(ハーピー)という怪物もいる。あるいはたしか鷺は赤ん坊のような声で鳴くことが京極夏彦の短編「川赤子」で描かれていました。でもそれが鳥なのかヒトなのかなんて、じつはだれにもわからない。赤ん坊の妖怪かもしれないわけです。
ちなみに妖怪うぶめは「をばれうをばれう」と鳴くそうです。たとえそれが妖怪じゃなくて鳥でもなくてヒトであったとしても、真夜中には、ききたくないかんじの、鳴き声です。ひとはそうゆうふうにはなかないから。
八時から十二時までの声でした ひとり静
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