【こわい川柳 第二十一話】円を描き泣く人ひとりまたひとり 西条眞紀
- 2015/06/11
- 13:04
円を描き泣く人ひとりまたひとり 西条眞紀
【鬼は○の内と外、どっちにいるのか】
西条眞紀さんの句集『逆光』からの一句です。
〈円〉って、こわいんですね。〈円〉はふしぎなシーンをたちあげていく。○を描いてみるとわかります。○をかくと、それだけで、内側と外側ができてしまう。はっきりとした境界線です。そこには〈わたしたち〉と〈あなたち〉という〈集団性〉もかかわってきます。
たとえば、倉本朝世さんにこんな句があります。
噴水に集まりながら消えながら 倉本朝世
噴水もかんがえてみえば、円であり、まるなんですよね。
たとえば、この円という感覚は、ハンカチ落としというかたちでもわたしたちのからだに身体化されているかもしれない。
あれはみなで円陣になりますよね。
で、鬼がぐるぐるひそやかにみんなの背をまわりながら、だれかのところにそっとハンカチを落とす。
あのハンカチ落としっていうのは、だれがハンカチを落とされるかわからない点で、つねに〈非在の集合体〉としてあるわけですが、その〈非在の集合体〉のなかでとつぜんハンカチが落とされ、鬼が選ばれ、〈存在〉化する。
そういう、非在と存在のアクロバティックな遊びになっている(おそらくかくれんぼや缶けりもそうです)。
この倉本さんの句もそうした円をめぐって非在と存在がゆれうごく句になっているとおもうんです。
で、西条さんの句にもどってみます。
西条さんの句では「円を描き」ですから、みずからまるを生成しているわけです。そして「泣」いているということは、そのつくったまるを〈引き受けている〉ということになります。理由はわかりません。ただ円を描くとそれをひきうけなければならない。だから泣いているわけです。
ここには円のやはり大切な要素があります。
それは〈承認〉です。優秀な答案には花丸をつけるという記号文化があるように、まるとは〈承認〉のかたちでもある。でもかんがえてみればおそろしいことです。まるをつければ〈承認〉とされてしまうということは、〈わたし〉の意志とはかかわりなく、○を描いたしゅんかん、〈決断〉し〈選択〉の状態におかれてしまうこともありうるからです。これはいま流行っている「チャーリーゲーム(こっくりさん)」にも煮ているとおもいます。〈わたし〉が選択するというよりも、〈記号〉が〈わたし〉を選択する。
まる、というのは、その完結した、完璧な図形性、記号性に反して、わたしたちにとってはノイジーな〈うずき〉なのではないかとおもうのです。「あらゆるまる」になろうとしてもかならず〈うずき〉としての雑音がでてしまう。わたしたちの身体は〈うずくま〉ろうとしても〈うずくま〉ろうとしても〈まる〉をはみだしてしまう、余剰(うずき)としてしかありえないから。
うずく、まるわたしはあらゆるまるになる月のひかりの信号機前 中家菜津子
【鬼は○の内と外、どっちにいるのか】
西条眞紀さんの句集『逆光』からの一句です。
〈円〉って、こわいんですね。〈円〉はふしぎなシーンをたちあげていく。○を描いてみるとわかります。○をかくと、それだけで、内側と外側ができてしまう。はっきりとした境界線です。そこには〈わたしたち〉と〈あなたち〉という〈集団性〉もかかわってきます。
たとえば、倉本朝世さんにこんな句があります。
噴水に集まりながら消えながら 倉本朝世
噴水もかんがえてみえば、円であり、まるなんですよね。
たとえば、この円という感覚は、ハンカチ落としというかたちでもわたしたちのからだに身体化されているかもしれない。
あれはみなで円陣になりますよね。
で、鬼がぐるぐるひそやかにみんなの背をまわりながら、だれかのところにそっとハンカチを落とす。
あのハンカチ落としっていうのは、だれがハンカチを落とされるかわからない点で、つねに〈非在の集合体〉としてあるわけですが、その〈非在の集合体〉のなかでとつぜんハンカチが落とされ、鬼が選ばれ、〈存在〉化する。
そういう、非在と存在のアクロバティックな遊びになっている(おそらくかくれんぼや缶けりもそうです)。
この倉本さんの句もそうした円をめぐって非在と存在がゆれうごく句になっているとおもうんです。
で、西条さんの句にもどってみます。
西条さんの句では「円を描き」ですから、みずからまるを生成しているわけです。そして「泣」いているということは、そのつくったまるを〈引き受けている〉ということになります。理由はわかりません。ただ円を描くとそれをひきうけなければならない。だから泣いているわけです。
ここには円のやはり大切な要素があります。
それは〈承認〉です。優秀な答案には花丸をつけるという記号文化があるように、まるとは〈承認〉のかたちでもある。でもかんがえてみればおそろしいことです。まるをつければ〈承認〉とされてしまうということは、〈わたし〉の意志とはかかわりなく、○を描いたしゅんかん、〈決断〉し〈選択〉の状態におかれてしまうこともありうるからです。これはいま流行っている「チャーリーゲーム(こっくりさん)」にも煮ているとおもいます。〈わたし〉が選択するというよりも、〈記号〉が〈わたし〉を選択する。
まる、というのは、その完結した、完璧な図形性、記号性に反して、わたしたちにとってはノイジーな〈うずき〉なのではないかとおもうのです。「あらゆるまる」になろうとしてもかならず〈うずき〉としての雑音がでてしまう。わたしたちの身体は〈うずくま〉ろうとしても〈うずくま〉ろうとしても〈まる〉をはみだしてしまう、余剰(うずき)としてしかありえないから。
うずく、まるわたしはあらゆるまるになる月のひかりの信号機前 中家菜津子
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